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バナナミルク
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窓の外から、運動部の元気の良い掛け声が聞こえてくる。
野球部の金属バットがボールを打つ小気味好い音や、廊下の向こう側からは、吹奏楽部が練習している楽器の音も。今日も世界はこんなにも騒がしい。なのに、ここだけは別世界の様に静かだ。

カタン…

俺が置いた筆の音だけが、この部室内に響いた。


「あのー、黒瀬君。」

「……はい。」

「今日先生出張で来れないから、五時まで書いたら片付けて帰って良いって。で、一番上手くいったのは残しておいてだって。」

「…はい。」


沈黙を破るのはいつも俺。正直、顧問の先生が居ない時は物凄く気まずい。

この学校の書道部は、部員が三年の俺と二年の黒瀬君の二人だけしか居ない。まあ、最初は俺一人だけというなんとも寂しい部だったのだが。

俺が二年の時の春、新入生の黒瀬君はこの書道部に入部した。最初は、部員が一人でも増える事が凄く嬉しかった。でも、いつまで経っても黒瀬君とは仲良くなれなかった。

黒瀬君は俺が一所懸命話しかけても滅茶苦茶反応薄いし、殆ど何も喋らないし、学校の何処かで見掛けても、大体いつも一人で居ることが多い。かと言って嫌われてる訳ではなさそうで、むしろ黒瀬君はかっこいいから女子には結構人気ありそうなんだけど、カノジョも居るようには見えない。

兎に角、彼はいつも何を考えているのかさっぱり分からないのだ。変わった子だ。少なくとも俺は、こういうタイプの人間に今まで出会った事が無い。どう接して良いのか、分からなかった。

俺はすぐに心が折れて、彼と仲良くなる事を諦めた。一年が経った今でも、彼の事は何も解らないままだ。こんなんだったら、俺一人だけでも前の方が気楽で良かった気がする。


「さよなら…。」


俺より一足先に片付けを終えた黒瀬君が、独り言のようにそう呟いて部室を出ていく。俺も最後に部室の戸締まりを確認をして、帰る事にした。

きっと卒業までこんな日が続くんだと、この時俺は思っていた。


そんなある日の部活中の事。

いつもの様に俺は、字を書いては休んでを繰り返していた。休んでる時の方が圧倒的に長いのだが。そして一頻り椅子に座ってぼーっとしてから、再び筆を手に取り半切紙に向かった。

ふぅ、肩凝る〜…

…っ!?

切りの良いところで一息つくと、斜め後ろから視線を感じて振り返った。そこにはやはり黒瀬君が居て、目が合う。

さっきまで壁際で黙々と字を書いてたのに、いつからそこに居たんだ。


「それ、何て字ですか?」

「?…ああ、これは張遷碑だよ。」


黒瀬君から話しかけられたのなんていつ振りだろうか。珍しい。雨でも降るんじゃないか?……って、既に降ってるし。

ついさっき降りだした雨が、窓ガラスを打っていた。だからだろうか、今日はやる気が出ない。いや、いつもそうか。俺はいつも何か理由をつけてはすぐに怠ける。いつも一所懸命字を書き続ける黒瀬君とは大違いだ。


「それ、筆の入り方どうにゃっ…どうなってるんですか?」


今、かんだな…


「う〜んとね、こんな感じで…」


どうせ失敗したやつだ。俺は今書いていた紙に、線を書いて見せた。


「書いてみる?」

「…はい。」


黒瀬君に筆を渡すと、彼は俺の書いた線を真似る。しかし、独特な筆遣いに戸惑っているようだ。それで俺は、黒瀬君の手ごと筆を持って線を書く。


「こう入って、こう…」

「………」

「…ん?あ、ごめん。」


黒瀬君がちらりと俺の顔を見たので、俺は焦って手を離した。

勝手に汚い手で触って悪かったよ。

何だかまた更にやる気をなくしてしまった。

あ〜もう、めんどくせー…

そんな感じで本日の部活終了。でもこの日から少しずつ、どういう訳か黒瀬君と俺は話すようになっていった。


高文連が近付いた、ある夏の日。


「こんにちは〜。」

「こんにちは…」


部室に来ると、黒瀬君が先に来ていて既に字を書き始めていた。


「今日は早いね。」

「…掃除、無かったんで。」

「そっか。つか、あっつ〜。窓開けるよ?」

「はい…」


俺は窓を開けた。その直後、いきなり強い風が吹いて部室内に入ってきた。

バサバサバサッ…

紙類が激しく舞う。軽い惨事だ。


「ごめんっ!大丈夫!?」

「………」


慌てて窓を閉めて振り返ると、無言の黒瀬君と目が合った。目で助けてと訴えている。

「…じゃないね。」

黒瀬君が今書いていた半切が捲れ上がって、まだ乾いていない墨が他の部分に付きそうになっている。それを彼が阻止しようとしているのだが、そのせいで動けないでいるのだ。俺は急いで彼を助けに行った。

一息ついて、俺は黒瀬君の前にある椅子に背もたれ側を前にして座った。彼の書く字をぼーっと眺める。すると暫くして彼の手が止まった。


「気散る?」

「いえ…」

「いつも頑張るよね。そんなにぶっ続けで書いて疲れない?」

「大丈夫です。俺は、これぐらい書きゃ…書かないと…」


…またかんだ。

彼と話すようになって気付いたのだが、黒瀬君はよくかむ。多分、普段あまり喋らないせいで口が回らないんだろう。


「それ、張猛龍碑だっけ。書きやすい?」

「……よく分かりません。」

「そうか…」

「でも、部長が選んでくりぇたやつなんで、好きです。」


書道展に出す作品の書く字を選ぶ時に、黒瀬君がなかなか決められないでいたので、俺はテキトーにぱっと思い付いたやつを言っただけだ。それだけなのに、なんて照れる事を言ってくれるんだ。また軽くかんだけど、そこはもう気にしない事にする。

最近思うんだが、俺何気に黒瀬君に気に入られてないか?今頃になって、やっと俺に慣れてきたとか…いや、どうだろう……

少し話せるようになったからって、彼の事が解ってきたとはけして言えないのだ。相変わらず黒瀬君は無表情で、感情を表に出さない。


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あきゅろす。
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