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片道810円
A

「ただいま」

「っおかえり!」

 今、俺の心は満たされていて、本当に幸せだ。



 俺には秘密がある。この先、一生誰にも言うつもりは無いし、言ったとしてどうにかなる事でもない。

 兄さんに初めて会ったのは俺が九歳の時だった。その時俺は一目見て兄さんに特別な感情を抱いた。そして子供ながらにそれは良くない事だと思った。だから兄さんにはもちろん、父さんにも新しいお母さんにも、誰にもばれちゃいけないと思った。

 新しい家族全員で過ごしたのは最初の一年間だけで、兄さんはすぐに家を出ていってしまった。俺は寂しかったけど、少しほっとしたんだ。その後は年に二回会えていたけど、俺は兄さんが帰ってくる日が近付く度、いつもそわそわしていた。

 兄さんは会う度に小さくなっていくように感じたけど、それは俺が大きくなってたからだった。そして俺の身長が伸びるのに比例して、兄さんへの思いも大きく膨らんでいった。初めのうちは簡単に諦められると思っていた。こんな気持ちはただの思い込みなんだから、そうじゃないと思えばそうじゃなくなるって。だけどどうにもならなかった。

 兄さんが住む町までは、汽車で片道約一時間810円。いつでも会いに行ける距離だから良かった。会いに行く勇気なんて俺には無かったけど、その距離感がいつも俺を安心させていた。だから親が引っ越すと言い出した時は焦った。俺は兄さんの事を諦めなきゃいけないと思いながらも、心の奥では絶対に諦められないということも分かっていた。

兄さんと一緒にアパートに住むようになって、前から優しかった兄さんはもっと優しくなった。どうしてこんなに俺に良くしてくれるのか、それは俺が弟だからだ。俺が初めて兄さんと呼んだ時、兄さんは本当に嬉しそうな顔をした。父さんに言われたんだ。そう呼んであげれば大樹くん喜ぶからって。俺なんか全然可愛くもない弟なのに。弟になったのが俺じゃなかったとしても、兄さんは変わらず優しくしてたと思う。だから、誰でも良かったんだ。

 俺は兄さんに触りたい。キスしたい。抱きしめたい。それ以上の事も…

 いつもこんな事ばっか考えてる。弟として可愛がってる俺にこんな目で見られてるなんて知ったら、兄さんはどうなるんだろう。

 困る?引く?がっかりする?俺の事、嫌いになる…?

 大丈夫だよ兄さん。俺は兄さんに嫌われるぐらいなら死んだ方がマシだから、本当に何もする気は無いんだ。ただ、妄想の中でだけ俺は兄さんを抱く。

「わー、石沢くんのお弁当凄く美味しそうっ!」

 学校で昼休みに弁当を食べていたら、クラスメートの金森さんに言われた。

「そう?」

「石沢くんのお母さんって料理上手なんだね」

「いや、これはお母さんじゃなくて…」

「兄ちゃんだよな」

 横から友達の谷口が話に入ってきた。

「こいつの親引っ越したから今兄ちゃんとこに住んでんだよ。で、春から汽車通してんだよな」

「うん」

「始発だから5時起きだって。マジ信じらんね」

「うそー。え、じゃあお兄さんもそれぐらいに起きてお弁当作ってくれるの?」

「うん。まぁ」

「めちゃくちゃ優しいね。へぇ、石沢くんお兄さん居たんだ。どんな人?似てる?」

「似てるわけねーよな。血繋がってねーし」

 谷口が言うと金森さんは気まずそうな顔をした。

「え…?私聞いちゃいけない事聞いちゃった?」

「全然。俺の親バツイチ同士の再婚だけど、普通に家族仲良いから」

 俺は金森さんを安心させるように言った。

「そうなんだ。でも気になるなぁ、石沢くんのお兄さん。谷口くんは会った事ある?」

「無いよ。京ん家には行った事あるけど、兄ちゃんは一緒に住んでなかったもんな」

 するとその時、隣のクラスの理沙が俺の所に来た。

「何の話?」

 理沙は一年の時から付き合ってる俺の彼女で、昼休みに友達と弁当を食べた後、いつも俺に会いに来る。

「京の兄ちゃんの話。会った事ある?」

 谷口が理沙に聞く。

「あるよ、一回だけ。去年の夏だったかな。京ん家行ったらたまたまその時お兄さん来てたんだよね」

「どんな人だった?」

 今度は金森さんが聞く。

「素朴で真面目そうな感じの人だよ。あと、京より十歳年上らしいけど全然そんな感じしなかった。実際の歳よりずっと若く見えたよ。と言っても、あの時お兄さんすぐ帰っちゃったからチラッとしか見てないんだけどね」

「へぇ」

「へぇ」

 谷口と金森さんの声がかぶった。

「それからね、床屋さんで働いてるらしいよ」

「理容師さん?」

「だったらお前その髪そろそろ切ってもらえよ。見てる方がうっとうしいわ」

 気にしてなかったけど、谷口に言われて自分の髪が結構伸びてる事に気付いた。

 そっか…今日帰ったら頼んでみようかな。

 学校が終わってアパートに帰ってくると、カレーの匂いがした。俺がただいまと言うと、兄さんはいつも笑顔でおかえりと言ってくれる。

「今日はカレーだぞ。京助、小さい頃からちょっと辛いのが好きだっただろ?で、具は大きい方が良かったんだよな?」

「…はい」

 俺の好み、覚えててくれたんだ…

 兄さんと一緒にカレーを食べる。兄さんはたしか辛いのが苦手だったはずだ。なのに俺に合わせてくれてる。凄い汗かいてるけど、大丈夫なのかな。

「美味いか?」

「はい、美味しいです」

「そうか、おかわりしていいぞ」

「はい」

 俺は二杯目のカレーを食べながら話を切り出そうとしていた。


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あきゅろす。
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