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Libreria.
祝福のドアベル(西墺
「ロディ。今日のおやつはなんなん。」


 よく晴れた日の、朝食も終えた穏やかな時間。
 家中の窓を開け放し、読書でもして午後には楽譜と向き合おうと決めたとき、ふいに来訪者を告げるベルが鳴った。
「いきなり尋ねてきてなんですか、このお馬鹿。」
 玄関を開けて、目の前に立っていたのはそれなりに仲良くしている友人。元伴侶。
「天気ええから外で食べへん?その後にロディのピアノ聴かせてえな。」
「人の話をお聞きなさい。一体なんだというのです。」
 今日は特に約束はしていなかったはずだ。メールも電話も事前にはもらっていない。
 用件はなんだと問えば、更に見当違いの答えが返ってきた。
「あ、午後にはロヴィとフェリちゃんも来るで。リーザは今日は仕事やねんて。残念やったなぁ。」
「だから!何故いきなりそんな事になってるんです!しかも私の断りもなく!」
 彼の突然の訪問だけでも驚いたというのに、午後にはイタリア達までやってくるとはどういうことだ。
「やって、お前に会いたなって。そしたら久々に楽園みたいな休日過ごしたなって、居ても立ってもおられんかったんやからしゃあないやん。」
 ぽこぽこと頭から湯気を出しながら怒れば、彼は申し訳なさの欠片も無く、照れたように頬を掻きながら笑って見せた。
「この、お馬鹿!突然来られても準備なんてしてる訳ありません。」
「チュロス持ってきてん。俺はロディのシュトーレン食べたいわぁ。コーヒーも、とびきり甘いの煎れてくれんのやろ。」
 その笑顔に騙されてやれるほど、彼と純情な仲ではないので、ローデリヒはもっとぽこぽこと湯気を出してやった。
 人を呼んでお茶を楽しむなら、きちんとお膳立てをしてからでないと、美しいお菓子も上等のコーヒーも楽しむことなど出来ないと言うのに。
 そんな自分のこだわりを知っているくせに、彼は思い立ったらすぐ行動してしまうので、こういう事は初めてではない。その度、口を酸っぱくして言っても治らない。
「・・・手伝いなさいこのお馬鹿。そして今度はちゃんと前もって連絡なさい。」
 それでも午後には来客があるというのだから、急いで準備をしなければ。
 溜息一つで締め括ると玄関での問答を終いにし、ローデリヒは「お入りなさい。」と彼を部屋に招いた。
 一先ず彼にお茶を出さねばと思い、踵を返したが、その腕を、熱い掌に引き止められる。

「せやね。そしたら、今度はあの頃みたく名前呼んで笑うて出迎えてくれる?」

 先程とは違う、どこか緊張を孕んだ声がローデリヒの鼓膜を震わせた。

「何を言い出すんですかお馬鹿さん。一体何時の話をしてるんです。そんなことより庭のテーブルを移動させて下さい。」

 けれど、ローデリヒは特に気不味さなど感じず、肩の力を抜いたまま指示をした。こんなのは、およそ茶番に過ぎないと思ったのだ。
 けれど手首を掴む力が少しだけ増して、ローデリヒの手を返したかと思うと、そこに少しひやりとした感触が乗せられる。
 今度は何だと眉を顰めてゆっくりと首を巡らせれば、彼はこちらの目を見て、真剣な声でとんでもない事を言い出した。
「ローデリヒ。もう一回、俺のお嫁さんになったって下さい。」
「この・・・!!なんです、情けない顔して。そしてその手のものは?」
 あまりにとんでもない告白に再びぽこ!と湯気が出かけたが、情けなく下がった彼の眉尻と、掌に収まる真っ赤なトマトをみて不発に終わってしまった。
 先程のひやりとした感触の正体はこれか、と納得しながら、なぜこれを手渡されたのかは判らない。
「せやって、俺どうしていいか分からんし。あの頃は国ごとお前と一緒やったけど、今はそんなん無理やん。俺が、お前を好きなだけやねん。他に、俺が持ってるもんで上等なあげれるもん思いつかんかった。」
 やはり真剣に、それでも少しだけ口元を綻ばせて彼は言う。
「だからって、何故トマトなんですか。確かに、とてもいい色艶ではありますが。」
 ルビーの代わりにトマトなんて、どんなロマンチシズムだろうか。
「ロディ、返事教えたって。」
 手の熱でぬるくなってしまったトマトを見つめて、なおも緊張に強張る彼の一言にローデリヒは思わず笑ってしまった。
「貴方に、これを差し上げます。もし同じものをお持ちでしたら、トマトと一緒に下さいませんか。」
 それから彼の手にトマトを戻すと、きっちり留めていたシャツの襟をくつろげ、細いチェーンを引っ張り出す。
 チェーンこそ新しいものではあったが、そのトップを飾っているのは古い細身のケルト十字。そして寄り添うように、やはり細い線で描いたような指輪がある。
 磨いてはあるが、長い間に随分と細かい傷が入ってしまっているのだろう。かつてのようにただ艶艶とした輝きはなかった。
 ローデリヒはそっとその指輪を外して、差し出してみせた。彼は、信じられないというようにその指輪を見詰めている。
「ロディ・・・それ。ほんまに?それ、ほんまに俺にくれるん?」
「ええ、どうぞ。きっとサイズは合わないでしょうけど。」
 そんなの当たり前だ。これは、自分の薬指にぴったりなのだから。自分より一回り手が大きくて、厚みのある彼の指には嵌らないだろう。
「アントーニョ、お返事を聞かせて下さいますか。」
 かつてこの指輪と対を成した、一回りサイズが大きいものを、彼がすでに無くしてしまっていても本当は構わなかった。
 国の存続を賭けた結婚に、別の意味を持たせてくれたこの指輪が、ローデリヒにはとても大事だった。後にも先にも、贈られた指輪に指を滑らせたのは、アントーニョが個人的にくれたこれだけであったから。
 他は、今はもう歴史と共に屋敷のどこかで宝石箱の中に眠っている。
 あの頃は今より互いの気持ちに素直であったけれど、今より全然酸いも甘いも噛み分けられていなかった。
 ただ、どうせ一緒に居るならお互いのことを好きになれるだけ好きになっていこうと誓って、笑った。幼くて純粋な誓いの指輪だった。
 その道が途絶えて、指輪は意味を無くしてしまったけれど。その頃の想いが、飾り気の無いささやかな輪の中に閉じ込められている気がして手放せなかった。
「ロディ、手ぇ貸し。」
 再び、この指輪に新たな意味を添えることが出来たら。きっと、今度はもっと束縛的で醜い愛情が注ぎ込まれるに違いない。
 アントーニョが穏やかに微笑んで、受け取った指輪をそのままローデリヒの薬指に通した。そこに温かな唇が落とされる。
「俺にも、おんなじようにしたって。」
 そして、アントーニョはその掌に今度はトマトとは違う、ローデリヒの指に納まったものと同じ指輪を握らせた。
「トーニョ、貴方も持っていて下さったんですね。少し、以外ですが嬉しいです。」
「以外てなんやねん。俺かて、あん時も今も一大決心して告白してんねん。捨てれるわけないやん。」
 ぱちりと瞳を瞬かせ微笑んだローデリヒに、アントーニョはがくりと肩を落とす。
「今日、ロディがええよって言ってくれたら渡すつもりやってん。先越されたけど。」
 気まずげに笑いながら重ねられた手は、あの頃よりたくましかった。
 その手をとって、アントーニョがしてくれたように指輪を通す。けれど、彼の薬指にはきちんと納まらなかったので、少し悔しい思いをしながら小指に嵌めてやった。
「あかん。ロディとお揃いにならへんやん。」
 少し不満そうに、小指に視線を落としてアントーニョは言う。
「トーニョ、今度は私から指輪を贈らせて下さい。これは、お互いにあの頃の思い出として大事にしまっておきましょう。今の私たちに相応しいものを、新たに選びたいと思います。」
 愛しげにアントーニョの指を遊ばせて、ローデリヒは心からの告白を贈った。
 アントーニョはとても嬉しそうに、破顔してローデリヒを抱きしめた。
「そんときは、ロディが迷子にならんように俺が迎えに行ってやんで!」

祝福のドアベル

「さて、午後の準備をしなければ。しかしアントーニョ、一つ聞き捨てなら無いのですが。」
「その前にうまいコーヒー煎れてぇな。」
「誰が嫁ですか。あの時私の家に嫁いできたのは貴方でしょう、お馬鹿。」
「婿入りってことやないの?ええで、それでも。」
「・・・もういいです。一息入れたら、力仕事は任せましたよ。」
「楽しみやなぁ。あの頃みたいに家族でお茶したら、幸せすぎやん。」
「貴方、まさかその為に彼らを呼んだんですか。」
「せやで。ロヴィもフェリちゃんもリーザも俺のこと応援してくれたから、失敗でも残念パーティになんねん。」
「・・・本人目の前によくもまぁ。というか、私が居た堪られませんよ。」


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