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Libreria.
非現実的日常(仏英
 今日の仕事は一段落。さて、これから帰ってティータイムでも楽しもうかと小さな溜息をついた所で、窓の向こうが雨模様に変わっていることに気付いた。
 ああ、帰宅するまではぎりぎり持つんじゃないかなんて期待をしてしまっていた。
 一体何世紀繰り返せば、その浅はかな期待を説き伏せる事が出来るんだろうか。
 それは恐らく己が己である以上、およそ無駄な足掻きであるに違いないけれど。
 思い耽って窓の外を眺めながら、グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国、つまりはイギリスであるアーサーはもう一度溜息を吐いた。
 よりによって今日は車を走らせてこなかった。理由は簡単だ。朝は酷い二日酔いで、とても運転なんて出来る気がしなかった。
 翌日が仕事だとわかっていて、二日酔いを招くような酒を飲んでいた訳じゃない。本来なら今日は休みのはずで、というか今は10日間も取ったバカンスの最中だ。
 七月はいつだってバカンスを取る。常日頃ワーカーホリックと云われている自分が、この月だけは有給休暇を消化しようと努力する。
 その10日の間は、真綿で首を絞めるかの如く、日毎に酷くなる体調をやり過ごす為に自宅に引き篭もり、実に有用なバカンスを過ごすのだ。
 だというのに、ここ百何十年。その有用なバカンスに水をさす馬鹿が居る。一体、何回七月が巡ったと思うのか、あの髭面の変態野郎は。
 ちなみに計算出来なくも無いが、面倒なので数えようとはアーサーも思わない。
 奴だって、忙しい時期だろう。なにせ革命的な誕生日を祝う為の準備に追われているはずだ。やはりまともに祝ってやるつもりなんて起きないが。
 その髭野郎は言う。
「だって坊ちゃん、放っておくと俺のパーティにも顔出してくれないでしょう。」
 そして何故か、休暇の半分はアーサーの家に居着くのだ。
 その間、奴宛の封書が詰め込まれ、電話が鳴り響き、バカンス中のはずが職場に居るような気にさえさせられた。
 一度は郵便受けを破壊し、一切の配達を拒否して電話線を引き抜いた事もある。・・・一度だった気がする。
 最近は携帯やPCが発達してくれて何よりだ。郵便受けが爆発することも、自宅の電話が鳴り響く事も殆ど無い。
 まあ、そんなバカンスの最中だろうとなんだろうと、休日出勤なんてのもワーカーホリックの自分には当たり前にこなすべき日常である。但し、タイミングが悪かった。
 バカンス二日目にして髭野郎がやってきて、なんだかんだと言い合いながらも、美味い飯と酒を詰め込まれて今日はこのまま半日は寝て過ごしているはずだったのだ。
 結局、朝から呼び出されて出勤して、用事だけ済ませてすぐに帰るのも憚られて、午前中ずっとデスクに向かっていた訳だ。
 誰か俺の趣味から仕事を外してくれ。
 PCの電源を切り、端末を引き抜いてスーツのポケットに放り込む。秘書に一声掛けて廊下に出ると、窓を開けて一服。
 音も無く降る雨の匂いと、湿気た煙草の臭いを吸い込んで吐き出す。
 ああ。本当に、七月の雨なんて大嫌いだ。
 この頭痛は二日酔いだろうか。この吐き気は精神不安定だからだろうか。
 そんな事はどうでもいいから、早いところベッドに潜り込んでしまいたい。
 起きたら、晴れてようが雨だろうが、庭に出て新しいバラの苗を植えて棘と花びらと土の茂みに埋もれたい。
 静かに静かに、過去も未来も忘れて安らいで居たいというのに。震えるポケットが実に忌々しい。
 マナーモードで鳴り響く電話を無視して、携帯灰皿を取り出す。
 大して短くなっていない煙草を押し付け、灰が散らないように閉じて丁寧に仕舞う。
 それから、ようやく震源を断った。
「うるせぇ。」
『どうせまた、やらなくてもいい仕事してたんでしょ?でも今日はもう帰ってきてよ。』
「やらなくていい仕事なんか無ぇんだよ。」
『まさか、俺のこの愛が詰まったランチを無駄にしようっての。酷い人!』
「流石に夜までお付き合いしたいレディではない。今日は俺の為にもう帰る。」
『そんなに具合悪いの。じゃあタクシーで帰っておいで。』
「俺は英国紳士だぞ。濡れて帰るに決まってるだろ。」
『俺的にはそれを紳士と呼びたくない訳で。紳士ってのはさぁ、まさにお前のすぐ下に居る男の事を言うんだよ。』
 即効で電源を切る。舌打ちをしながら、視線を下げた。
 建物の二階に位置する窓の下は駐車場になっている。
 そこに立っているのは気障ったらしくスーツを着こなし、そのスーツに似合わない真っ黒の傘をさして、物憂げに空色の瞳を上げて笑う金髪の伊達男。
「これはミスタ・ボヌフォア。今日は随分と洒落た傘をさしてらっしゃる。」
「流石にお目が高い、ムシュー・カークランド。実は立ち寄った骨董屋で見付けた代物でして。」
「てめぇ、無断で傘と車使いやがってその言い様か。」
「お前こそ、折角迎えに来てやったのに酷いんじゃない。」
 そう言いながら肩を竦めて、フランシスは「いいから早くおいで。」と首を傾げた。
 ああ。本当に、七月の雨なんて最悪だ。
 頭痛も吐き気も空腹には敵わないのだと知った時には本気で自殺を考えた。
 七月はやたらと紅茶の茶葉が減るのが早いと気付いた時には、殺人計画を考えた位だ。
 いっそ、誰も出歩けない位の雨が降り続けばいいのに。そう願ってやまないいつもの昼下がり。

非現実的日常

永遠に続きそうな七月の日々。

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