[携帯モード] [URL送信]
07



「気にしてやってくれ」というオヤジの言葉を忘れたわけではなかったが、エースの行動は以前と何一つ変わることなく、相変わらずナマエとの関係は変化しないまま数週間が過ぎた。
幸いなことにここしばらくずっと穏やかな航海が続いており、前回の戦闘で負傷した2番隊の隊員たちもとっくの昔に全快していた。
「気が向いたらでいい」というオヤジの言葉を都合の良いように解釈していることも自覚していたが、今この瞬間困っていないなら積極的に改善しようとしない面倒臭がりな性格が災いし、結局エースはただの一度も船医室に近付いていない。


その日の作業を午前で終わらせ、エースは完全な自由時間となった午後をのんびりと過ごしていた。
さて今日もオヤジの元へ行こうかと昼食を終え食堂から出ようとすると、背後からサッチの自分を呼び止める声が耳に届く。
厨房内から差し出された手にはちいさな包みが握られており、なにこれと首をかしげるエースにサッチは「ナマエの昼飯」と短く答えた。
「うん……、で?ナマエの昼飯が何」
「これナマエんとこ持ってってくんね?」
「えぇ〜、何で俺?サッチが行けばいいじゃん」
「俺はこれから夕飯の仕込みなのー。ナマエと仲良くなるチャンスをあげようという優しい兄心が分からないのか」
サッチの言葉に、エースは顔全体を使ってしかめっ面をした。
「いいよ別に。仲良くならなくても」
「ナマエは船医だからなー、お前自身が怪我しなくてもなんだかんだで関わる機会はあるぞー。早い内に打ち解けるなり慣れるなりした方がいいぞー。後回しにすればするほどしんどいぞー」
「……」

以前マルコに言われた話と同じ事を言われエースは黙り込んだ。そうした方がいいのは重々承知しているし、これ以上避け続けるのも得策ではないのも分かっている。
また、断る理由も思いつかない。事実サッチは忙しそうでエースは暇だった。

「ちょっと行ってさっと渡すだけでいいからさ」
「……それでいいなら」
手を伸ばし渋々包みを受け取る。昼飯をわざわざ届けるなんてどういうことなんだろう。食堂に来るのがめんどいから届けに来い、みたいなことだったりして。いや、そんなのいくらなんでもサッチが許容するわけないか。
「昼飯これだけ?少なくねェ?」
受け取った包みは小さく、そして見た目以上に軽かった。こんなちょっとじゃ何の足しにもならないんじゃないだろうか。
この何倍、いや何十倍もの食事量を当たり前とするエースにとって、目の前の包みの小ささは信じられないものだった。
「お前と比べたら誰もが少食だろうけど。まぁ、あいつ元々あんまり食わないのに、ここんところ更に減っちゃってるからさ。あ、ちゃんと食うところ見届けろよ。渡したっきりにしとくとあいつ食事忘れるから」
「………へーい」
さっき、さっと渡すだけでいいって言ってなかったっけ。騙された気分になりながら、エースは食堂を後にした。

面倒臭いなあ。やだなあ。また何か小言言われるのかなあ。
ため息まじりに船医室へ向かう足取りは非常に重かった。



船医室の前に着いたものの、まだ心の準備が整わないエースは扉の前で右往左往していた。そもそもナマエと話した回数なんて両手で足りるほどなのに(しかもその大半が説教だ)、何て言って渡せば良いのか分からない。
しばらく決心付かずにウロウロしていたがなんだか急にバカらしくなり、さっさと昼飯を渡して退散してしまうことに決めた。サッチの「食ったか見届けて」の言葉は聞かなかったことにする。食うか食わないかは自己責任だ。

「……あーあーあー、……よし」
扉を数度ノックする。しばらく待ったが中からは何の反応も返って来ず、仕方なくエースは返事を待たずに船医室の扉を開けた。

船医室はガランとしていた。薄く開けられた窓から気持ちの良い風が入り、並べられているベッドも真っ白なシーツで整えられている。
部屋の隅に置かれた小さな机と椅子。その椅子の背もたれに体を預けたまま、ナマエが小さく寝息を立てていた。
「……なんだ、寝てんじゃんか」
いなければサッチに言い訳が立つ、そんなことを考えていたエースは少し落胆した。起こさないように静かに近づき、包みを机の上に置く。

手が届く範囲に近づいても全く目を覚ます気配もなく、どうやら完全に熟睡しているようだった。
「寝るならちゃんとベッドで寝ればいいのに」
ベッドだったらここにはいくらでもあるし、こんな体勢でなんて体痛くなりそうだし。
そこまで考えて、ふとエースは気づいた。

……そういえばナマエって、いつ自分の部屋に帰っているんだろう。というかナマエは一体いつ寝てるんだろうか。

同じ隊の仲間が船医室に行った時、「ナマエが寝てて処置して貰えなかった」
と言って帰って来たなど聞いたことがない。
モビーにいる1600人もの隊員は、必ず24時間誰かしら起きている。この船では完全に全員が就寝につくことなどないのだ。なのに、誰一人としてナマエが休んでいることを理由に追い返されていない。船医はナマエ一人しかいないというのに。

「……まさか、寝てても誰か来るたび起きてる、とか……?」
いやいや、まさかなあ。それは無理だろ、人間だし。
誰か来るたびに起こされてたら休めるもんも休めない。特にエース自身、睡魔に対して滅法弱い。そのエースにとって、安眠を脅かされる生活は考えられなかった。
大方、ナースが交代で起きてるんだろう。ナースだって基本的な医療知識はあるわけだし、手に負えないレベルだったらナマエを起こす、そういう風にやってる気がする。

「しっかし、寝てると普通なんだな」
寝顔を覗き込みながらエースが呟いた。
眠っている時のナマエの顔は、普段と比べて驚くほど普通だった。眉間のシワが無くなると、小言など言いそうにない好青年に見える。意外と整った顔をしているし、女にもモテそうだ。
普段からこんな風だったら俺だってあそこまで怖がったりしないんだけどなあ。
そう思いながら、近くのベッドから適当に毛布を引っ張り出しナマエにかけてやろうと近づく。

その時だった。ナマエが突如、前触れなく目を覚ました。
「!!」
心臓が飛び出るほど驚いたエースは、毛布を抱えたまま壁際まで後退した。エースの存在に気づいているのかいないのか、ナマエは素早く立ち上がり椅子にかけてあった白衣に袖を通す。
「お、おい、ナマエ……?」
何事かと慌てるエースの声は、通路を走る誰かの足音に掻き消される。それと同時に勢いよく船医室の扉が開き、数名の男に抱えられた血まみれの船員が運ばれてきた。一瞬前とは一変し、船医室全体が一気に慌ただしい雰囲気に包まれた。
「ナマエさんっ、診てください、出血が酷くて、」
「ベッドに寝かせろ。何があった」
「武器庫で在庫確認してて、そしたら急に砲弾が暴発して……こいつモロに食らっちゃったみたいなんです」
隊員の服を破き、患部をあらわにする。戦場を何度も経験し血には慣れてるエースでも、その状態は直視し難いものがあった。止まらない血があっという間にベッドを汚し、ナマエの白衣にもべっとりとした染みをつけている。

ナマエは眉一つ動かさず、その場にいる人間に指示を出し始めた。
「お前、厨房に行って湯を貰ってこい。あればあるだけいい。とにかく大量にだ」
「は、はい!」
「お前はこいつの隊の隊長とオヤジに連絡をしろ。事故の状況も説明しておけ」
「分かりました!」
「エース」
壁際で唖然と目の前の出来事を傍観していたエースは、突如名前を呼ばれビクッと肩を震わせた。
「悪いがナースを3人呼んできてくれ。今の時間ならテラスにいる。緊急だ、急げ」
「わ、わかった」
しっかりと一度頷くと、エースは船医室を飛び出した。





[←*][→#]
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!