目的の島は数日程度の航行で到着する距離に位置していた。「島が見えたぞ」という見張り台からの声に甲板へ出て、目的の島とその回りに点在する小さな島々を視界に入れる。上空に昇っていた月が静かに島を照らし光っていた。
目視できる距離で帆を畳み、一時的に船を止める様指示を出した。島が縄張りではない場合、船を港につける前に島の様子を見に行くことは毎度俺の仕事となっている。 「後の事は任せるが気を付けろよい」 「それ、俺らのセリフじゃねェ?」 甲板に集まった隊長たちにそう言うと、サッチが首をかしげてそう返した。確かに単独島へ向かう俺の方が本来は危険なのだが、今日ばかりは何故かそうとも言えない気がしている。 「もしかして、前に言ってた嫌な予感ってのを気にしてるのか?」 「……」 ジョズの言葉に無言のまま小さく頷く。あの時感じた引っ掛かりは未だ忘れることが出来ず胸の内に燻っている。あともう少し、何かきっかけがあればその正体に手が届きそうなのだが。 「嫌な予感ってのは得てして当たるもんだからな。お前がそこまで気にしてる以上俺らも気にならないわけじゃねェが……」 「でも最近お前疲れてるしさ、ナマエのこともあるし。こう神経張りつめてるっていうか過敏っていうか。つまりそういうことなんじゃねェの?あんま気にしねェでさ、今回の件が終わったらちょっとのんびりしろよ」 「……そう、だねい。そうするよい」 軽く肩を回し、ゆっくりとその腕を変化させる。上空を見上げると、飛ぶのにとても良い穏やかな風が吹いていた。 「じゃあ行ってくる。いつも通り俺が戻るまで待機、問題が起きたら信号送ってくれよい」 「おー」 見送る彼らを一度振り返り完全に獣型化すると、俺はモビーから飛び立った。
島全景を見渡すように上空を旋回する。時間が時間だからか、町には人が活動している気配が全くない。 半日もあれば一回り出来そうな島の大きさ。この海域の中心になれる程発展しているようには見えない、極々普通の平和でのどかな島だ。 (こんなところに名医、ねェ……) 名医どころかむしろ医者がいなくて困っていそうな過疎島だ。それともこういう静かな島でのんびりしたいという考えの持ち主なのだろうか。誰かを治療するよりも研究に没頭したいから田舎に引っ込む、なんていう医者がいるとかいう話も聞いたことがあるような。 まあ、それもこれもその名医とやらが存在していれば、の話だが。
島の中心にある森の中に一本そびえ立つ木を見つけ、その上に降り立った。ぐるりと周囲を見渡し、改めて島の地形を確認する。そして、島のあちこちで確認した事実を改めて整理した。
出入り口となる港は島にひとつ。そこ以外は絶壁となっており、とても船が停められるような地形じゃない。地形が複雑なのか、所々海流が乱れ不規則な渦を巻いていた。 気になるのは周りに点在する小島だが、数があまりに多く、また月明かりしかない今一つ一つをチェックするのは難しい。しかしその内の一つ、島に生える木々の隙間から船のマストらしき影を見た。 港の前に立ち並ぶ民家の石壁には大きな銃創と、投げつけられた斧が刺さったかのような傷跡の数々。そしてすべての民家の窓がキッチリ閉められているにも関わらず、カーテンだけが不自然に、ほんの少しだけ隙間を開けられている。その隙間から一体何を窺っているのかなんて、答えは一つしかない。 「……うちも舐められたもんだねい」 罠であることをアピールするかのような罠と、隠すつもりがないとしか思えない隠れている痕跡。 掴まされたかもしれない、そんな疑惑を吹っ飛ばすほど完璧なデマだ。そして案の定、俺らを誘い出すための物だった。
想像するに、俺らがのこのこと現れ何の疑問も持たず港に船をつけたところを小島に隠れていた船―――おそらく確認した以外にも何隻もいる―――が現れ、退路を塞ぐつもりなのだろう。 港から出ることも出来ず、陸へ上がらせもしない。仮に陸へ避難出来たとしても、そこを潜んでいる奴等が叩く。陸に上がれないとジリ貧だし、上がったところで俺ら劣勢は変わらない、と言ったところか。 確かに逃げ場がない状況下での戦闘はキツい。敵の総数も戦力も分からない上にきっとここは彼らのアジトで、地形的な有利不利も知り尽くしている。となると、普段の戦闘よりも難しいことになるとは思う。 「はー……」 医者はいないという事実から来る落胆と、こんな幼稚な誘いに乗ってしまったという脱力で俺は深いため息を吐いた。考えなくとも分かるだろう。あんな情報、これっぽっちもまともじゃない事くらい。
実のところ、この手の奴等は決して珍しくない。力の差を認識することも出来ず、「白ひげさえいなければ潰せる」という根拠のない理由を元に、無謀な挑戦をしてくるのだ。 ジョズやイゾウはこのタイプを酷く嫌い、相手をするくらいならさっさと逃げた方がマシとまで言っている。俺もその意見に同意だ。今はまだ船が港に入っているわけでもなし、このまま無視して島を離れてしまうのが一番良いだろう。……だが。 (ハルタはそれを許さないだろうねい) 彼自身の持ってきた情報だ、デマだったのならそれ相応の報復をしないと気が済まないだろう。ましてや潜む敵に気づきながらもそこから逃げ出すような真似はプライドを傷つけるかもしれない。 「どうしたもんかねい……」 枝の上に留まったまま一度空を見上げた。いつの間にか出てきていた雲がゆっくりと月を隠し辺りが暗闇に包まれる。上空は風が強いようだ。流された雲の隙間から、月が見え隠れしている。 「……海が荒れるかもしれないねい」 とりあえず一度モビーへ戻り、皆に報告を済ませよう。おそらくはそのまま来た航路を戻ることになるとは思うが、ハルタにどう伝えるかは戻りながら考えればいい。
最後にもう一度島を見下ろす。この雑な待ち伏せは、彼らの油断の現れだったのだろう。残念なことだ、こっちだって伊達に長く海賊をやっているわけじゃない。 風向きを確認し、俺は飛び立つ準備を整える。しかしその時視界に入った物に、ギクリと体を強張らせた。
その光景は、明らかな異常を示していた。 停止する様言ったはずのモビーの帆が張られている。当然その帆に風を受けてゆっくりと船は進み、そして船首はまっすぐに島へ向かっていた。 ともすれば港にぶつかろうとしているようにも見えるその進路に、俺は慌てて翼を広げ飛び立った。そして見えるのは、甲板で誰かが振っている異常事態を知らせる信号。
「……っ、遅ェよい……!」
思わず口を突いて出たその言葉は信号に対してではない。 緊急事態が知らされた今になって、俺は気づいてしまった。オヤジの部屋の前でアルヒと会話した後に感じた違和感。そしてどうしてその嫌な感覚の正体にずっと手が届かなかったのか。
『医者探しも最後ですもんね』
最後ではない。最後なわけがない。あの時でさえ掴まされたとしか思えないハルタの情報に、そこまで信じられる理由も根拠もありはしない。 じゃあ何故、最後だと言い切れたのか。 思い浮かぶ正解はひとつだけだった。
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