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「……それであんな場所にいたのか」



半ば引きずられるように酒場通りから連れ出され、俺は早々に自宅へと戻ってきていた。ソファに膝を抱えて座った俺に、キースさんはキッチンでミルクを温めて差し出してくれた。クッションを抱えたままの俺は、カップを取ろうともせずに一度だけ鼻を啜る。そんな様子にキースさんはひとつ小さくため息を吐くと、カップをテーブルの上に静かに置いた。



気づけば俺は、今まであった出来事をキースさんに吐き出していた。迷惑かもしれないという事すら忘れて、この苦しい気持ちを吐き出した。

自分が同性しか好きになれないこと。なのに好きになるのはいつもノンケの人ばかりで、そのせいで色んな目にあって来たこと。そして最近ある人に両思いであると嘘を吐かれていたこと。

パウリーの名前を出したら良くないだろうから、相手が誰かまでは言わないでおいた。キースさんも「相手は誰なんだ」と聞かないでくれたのがありがたかった。



ずず、とミルクを啜り、正面に座ったキースさんが口を開く。

「しかしな、だからっていきなり……。別にああいう店が悪いってわけじゃねェし、一夜限りのってのがダメとも思わねェ。まあ、俺個人としちゃ好ましくはねェけど人それぞれだしな。だが、正直オススメしない」

「……」

「あの手の店ってのは、良くも悪くも色んな奴が出入りする。カタギじゃねェやつも多いし基本的に治安も良くはないし、何を目的に足を運ぶのかは本当に人それぞれだ。軽い気持ちで行って、望まない状況に巻き込まれる可能性だって十分ある。特にお前は、……なんだ、そういうのに慣れてねェんだろ?身を守ることもあしらい方も知らない奴が行くべき場所じゃない」

「……それでも」



それでも、もうウンザリなんだ。

クッションに顔を埋めたまま小さく呟く。うんざり、その表現が何よりしっくり来た。俺はもう、こんなことの繰り返しは嫌なのだ。

誰かを好きになっては嫌な思いをする。ただ振られるだけならいい。もちろん振られるのだって辛いけど、なのにいつもそれ以上のダメージと共に酷く胸を抉られる。まるで好きになることとセットであるかのように。それならば最初から好きになんかならなければいい。

慣れてないのも分かっている、なら慣れるために最初の一歩を踏み出すしかない。慣れて慣れて、色んな人相手に色んなことを経験して、いつか特定の誰かを好きになることも忘れてしまえば、もうこんな苦しい思いをしなくて済むんだから。



「もう捨てるんだ、俺は全部止める。一晩限りだってなんだっていい。そういうのにも慣れて、あしらい方だって覚える。誘い方だって覚えてやる」

「……ナマエ」

「もう俺は、そうやって生きてくって決めたんだ」

「……」

呆れたような、困ったような。そんなため息が耳に届き、俺はクッションを抱える腕に力を込めた。



寂しい時に声をかけて、誘いに乗ってくれる人がいればそれでいい。寂しい時に寂しいまま一人で過ごさなくていいなら、それだけで十分だ。

俺の言ってることはそんなにおかしくないはずだ。俺は自分の変えようがない内面を理解した上で、そっちの世界から出てこないようにしようと言ってるんだから。

……なのにどうして、こんなに悪いことをしている気持ちになるんだろう。なんでこんなにも後ろめたいんだろう。俺は誰に対して後ろめたく感じてるんだろう。そのせいで仮にどんな目にあったとしても、自分以外の誰に責任が行くわけでもないはずなのに。



「……今、ミルク温めるのにキッチン使わしてもらったんだけどさ」

コト、と静かにカップをテーブルに置き、キースさんはキッチンへと顔を向けた。急に何だろうか。そう思い、クッションから顔を上げキースさんの話に耳を傾ける。

「お前のキッチン、すごいよな」

「……?」

「俺、料理人じゃねェやつのキッチンで感心したの初めてだ。特殊な道具を持ってるわけでもねェ、パッと見整頓された普通のキッチンだ。なのに道具の一つ一つが使い込まれて丁寧に扱われてて、料理しやすいように使用頻度が高いものはすぐ取れる場所に置いてあって……」

視線の先には、最近全く使われていないキッチン。独り暮らしには贅沢なシンクの大きさ、収納も多くて3ツ口コンロで、俺にとってもお気に入りだった。

もうずっと使ってないから、軽く埃を被っちゃってるかもしれない。しかしキースさんはそのキッチンを「良いキッチンだ」と褒め続ける。

「洗い残しもなけりゃ錆もない。調味料も揃ってる。俺は食い物売って飯食ってるから分かる。ただ『好き』なだけじゃ、ここまでできない。このキッチンの持ち主には、よほど料理に特別な思いがあるんだなって見た瞬間分かる」

「………」

キッチンに向けていた視線を戻し、キースさんはにこりと笑った。

「大事なことだったんだろ?好きになった相手と両思いになって、そいつに手料理食ってもらいたいって、多くの人間にはちっぽけかもしれねェが、お前にとってはちっぽけじゃないんだろ?それでいいじゃねェか」

「……それでいいって、……」

「両思いになりたい?そりゃ誰しもそう思うさ。別に同性が好きだろうが異性が好きだろうが関係ねェ。確かにナマエが望む物は色々障害が大きいかもしれない。だが、お前が大事に思う物を同じように大事にしてくれる、そういう奴がいつかきっと現れる」

「……」

「確かにそんな目にあってばかりいたら、嫌になっちまうのも分かる。どうでもよくもなるだろう。俺は、趣旨変えがダメだってんじゃない。生きてりゃ考え方が変わることだってあるからな。けど今のお前は、ただ考えることを放棄しただけだ」

「……それは、……」

「焦って先走るな、ちゃんと頭を使って決めて行動しろ。でないといつか、後悔する日がくる」

「……」

「もし一人が嫌なら、俺が話し相手にでもなってやる。まァ、パン屋の朝は早いからな。定休日前くらいじゃねェとあまり相手してやれないが」

そしてキースさんは手を伸ばし俺の頭をぐしゃぐしゃと撫で回すと、「そろそろお暇するか」とソファから立ち上がった。





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