「……分かったよ、ちゃんと話す」 元々約束した以上いつかは果たすつもりでいたのだ。ただどう説明したらいいのか分からなかっただけで。 そうだ、別に悪いことをしているわけじゃない。だったら何を躊躇う必要があるというのだ。純粋に知的好奇心を満たそうとしているマルコに、ただ堂々と意味を教えてやればいいのだ。 「童貞っていうのは、その……」 「うん」 「せ、せ、……セッ、」 しかしよほど抵抗があるのだろう。顔を赤くしたナマエは、恥ずかしそうに口を開いては閉じを繰り返している。 そうやってしばらく唸っていたナマエだが、突如テーブルの上の水を一気に飲み干すとキッと鋭い視線を向け、「童貞っていうのは!」と声を上げた。 「………、ええと、なんだ、生まれて一度もセックスしたことねェ男をそう呼ぶんだよ」 「せっくす?」 「今はそういうのがあるって程度に知っておけばいい。大好きな人が出来れば、自然とその人としたいって思うようになるから」 厳密に言えば特別な感情がなくとも出来るのだが、ナマエはあえてそれを伏せた。今のマルコにそんなことまで言わなくともいいだろう。マルコが大人になった時、性に対してどういう考えを持つかは分からないが、海賊が普通の恋愛をしちゃいけないわけではないし、奔放でなくてはいけないこともないのだから。 小さく首を傾げたマルコは、「じゃあマルはどうてい……?」と呟いた。 「うん、まあ……、マルコくらいの年齢でそうじゃねェって言われた方がビックリするな」 「ナマエとオヤジは違うのかよい?」 一度説明してしまえばもう抵抗感はないのか、マルコからの更なる質問にもナマエは言いよどむことなく答える。 「俺はもう何年も前に捨てたけど……。ニューゲートだともっと前だろ?」 「十代の頃だったしなァ」 「捨てる?どうていはいらないものなのかよい?」 「んー?いらないっていうか……、そういやなんで捨てるって言うんだろうな」 「男にとっては不名誉みてェな雰囲気があるからじゃねェか?」 「あー、確かになあ。俺もロジャーが馬鹿にするから、とにかく早く捨てたいって気持ちが強かったなあ」 昔のことを思い出したのか、ナマエの眉間にぐっとシワが寄った。 今でこそある程度抵抗しやり合うこともできるが、当時からロジャーの格好のおもちゃだったナマエは、10代半ばの思春期の頃は特に大変な目に合っていた。 「え、お前まだ童貞?お子さまー」 というからかいは思春期の少年に対してあまりにも酷いと思うが、からかわれるのが嫌だから速攻捨てた、というナマエの行動もどうかと思う。思いきりがいいというか、考えなしというか。本人がそれでいいと言うなら文句はないのだが。 「でもまあ、初めてを大事にしてもそうでなくてもどっちも良いと思うけど」 「価値観は人それぞれだしな」 「な」 二人の会話を黙って聞いていたマルコが、「ふうん……」と小さく声を漏らす。 しかしマルコが将来的にどういうタイプ―――性に対して奔放になろうがなるまいがどちらでも良いが、それでも適度に真面目に、適度に不真面目になってくれればいいと思う。今の小さなマルコからは想像しずらくはあるが、あちこちでヤりまくって女絡みのトラブル巻き起こしてる様子など積極的に見たいとは思わない。 「大きくなれば自然と理解するさ。いつかマルコも、自分の童貞捧げてもいいなって思う相手が見つかるだろうから」 「うん……」 分かったのか分かってないのかは判断できないが、マルコそう小さく呟いた。これでとりあえず「あとで教える」という約束は果たしたことになるだろう。ナマエはホッと息を吐き、重い責務から解放されたかのような気持ちになった。 だいぶ遅くなってしまった朝食に手をつけ始めた時、考え込んでいたマルコがパッと顔を上げた。 「そしたら、マルのどうていナマエにあげるよい」 「ん、ぐっ!」 口に含んだコーヒーが喉の奥の変なところに入って行きそうになり、ナマエは思いっきり噎せた。目の前に座るニューゲートも唖然とマルコを見つめており、自分の耳に届いたそれが空耳ではなかったことを表している。 「マ、マル、」 「ダメだったよい?マル、ナマエのこと好きだからナマエにあげたいよい」 「いや、マルコ、あのな、」 「でもマル、オヤジのことも好きだから、オヤジには肩叩き券あげるよい。そしたらふこうへいじゃないよい」 「………、…………ありがとう」 ニコニコと満面の笑みでそう告げるマルコに、ニューゲートはそれ以上何も言うことが出来なかった。ナマエは真っ赤な顔で口をパクパクと開け閉めし、マルコの言葉にどう返事をしていいのか判断出来ずにいる。 「ナマエはマルのどうていいらない?」 「……。うん、まあ、いるかいらないかはとりあえず置いといて、……マルコがもっと大きくなったらな……」 ナマエが絞り出すようにそう言うと、ニコッと笑ったマルコはようやく朝食を食べ始めた。食欲が無くなるほど疲弊してしまったナマエは、眉間に手を当てぐったりと目を閉じている。その彼にニューゲートはこそっと耳打ちをした。 「いいのか、あんな返事して」 「……マルコがその辺理解できる年齢になれば、笑い話ってことになるだろ。そもそもその頃にはマルコはもう覚えてねェだろうし」 それもそうか、ニューゲートはそう納得し、すっかり冷めてしまったコーヒーを啜った。 ナマエもニューゲートも、考えが甘かった。 マルコの記憶力と本気の度合いが二人の想像を越えていたことを思い知らされるのは、それから8年後のことになる。 End. |