あれから何日経ったのか。ドクターから宣告を受けてからの記憶が少し曖昧だ。あの日オヤジの部屋を出てまっすぐに自室へ戻った気がするが、まるで瞬間移動でもしたかのようにぽっかりと記憶に穴が空いている。言われたことの処理が頭の中で上手くできず、俺自身のことなのにまるで他人事であるかのように感じていた。 少し体調が悪いから、と部屋に籠るようになり、俺はずっとベッドに寝転がり目を瞑っていた。眠っていたわけではない。とても眠れるような状態ではなかった。マルコが寝て起きて、背後で着替えたりしている間もずっと寝たふりをしたまま意識だけはハッキリとしていた。 海に落ちてずぶ濡れになったことを知られているのか、どうやら俺は熱を出していると勘違いされているらしかった。マルコが心配そうに俺の顔を覗き込むのも気配で知っていたし時おり毛布をかけ直してくれたことも知っている。何度かサッチたちが様子を見に来てくれたことも。 だが俺は一度も言葉を交わさなかった。俺自身まだ受け入れられていないこの腕のことを皆に知られたくないというのも理由だったし、言葉を交わしてしまうと、何か……八つ当たりをしてしまいそうだったからだ。 ───どうして俺が。 そんな気持ちが、ずっと俺の心の底に巣作っていた。 ドクターはいくつかのことを俺に伝えた。 腕の手術は船の上では行えないため、ある程度設備のある島に行かなくてはいけないこと。そして、術後少なくとも半年は様子見しながらの付きっきりの検診が必要なため、その間ずっと陸暮らしをしなくてはいけないこと。 少なくとも半年。「手術後経過観察をする」というだけで半年。 「そしたら、どのくらいで復帰できますか。落とした後の腕の状態が問題ないって診断されれば、体動かしていいんですよね」 それでもまだ、可能性があるのだと思いたい俺はドクターにそう尋ねた。リハビリに長い時間がかかることも覚悟している、それがどれだけ困難であるかも。 しかし、俺がそう尋ねた時ドクターは酷く苦しそうな顔をして首を振った。 「それ以前に船での生活ができるようになるかも疑わしい。陸であれば……いや、陸であっても、そこかしこに不都合は出るだろう。絶対的に誰かの助けが必要になる」 「………」 「医師として、俺は宣告する。航海は諦めろ」 お前はまだ若い、陸で新しく人生を始めることだっていくらでもできる。海賊であることだけが全てではないはずだ。 賞金首になっている以上どこまで陸で平和に過ごせるかは分からないが、それでも海の上でのそれよりも不自由ない。 ドクターが言ってくれた助言は、俺の右耳から左耳へとすり抜けて行った。 「………海賊を辞めなくてはいけない」 口に出した瞬間色々なことが強烈な実感と共に襲いかかって来る。 そうか、俺はもうここにはいられないのか。オヤジの息子でいることもできないし、それより何より。 ───マルコ。 もう、マルコと一緒にいることができない。 あの日、黄猿からマルコを助け出し逃げ仰せた時、これ以上ないほどの何かが確立できたような気がしていた。 たとえ何があったとしてももう不安になることなどなにもないと。俺とマルコの間にこの先何が起きたとしても決して揺らぐことなどないと思えるほどの確固たる自信。なのに、自分がもうここにはいられないと分かっただけであんなにも揺るぎなかった自信が音を立てて崩れていく。 ちょっと離れるなんて話じゃない。俺が船を下りれば、きっとこの先一生マルコと俺の人生が交わる瞬間はないだろう。お互いに生きていたとしても、それは今生の別れだ。 当たり前のように存在していると思っていたマルコの隣にいる未来が、急に不明瞭な、あり得ない幻想へ変わっていく。 そんなのイヤだ。ずっと一緒にいられると思っていた。特別な約束なんかなくてもいい、ただ傍にいられるだけでいいと思っていた。だけど、それすら叶わないなんて。 昔白ひげにいた俺より強かった隊員たちが、様々な理由で体に障害を負ったり欠損を抱えたりを理由に船をおりて行ったのを見てきた。一人二人じゃない、何人も。1番隊の隊長だってそうだ。昔の大怪我を理由に船を下りようとしている。 それは「そういうこと」だ、とても海賊としてはやっていけないという証拠のようなものだ。雑用をするにしてもなんにしても、力仕事が多い海賊船で片腕でできる仕事なんてほとんどないに等しい。いやそれどころかむしろ、ただのお荷物かもしれない。 「……ぅっ、」 ボロボロと涙がこぼれた。ゴシゴシと擦っても、止まることなく次から次へと溢れる。 もし俺が、それでもここに居たいと言えばオヤジはきっと受け入れてくれるだろう。だけど力仕事もできない、戦うこともできない、雑用でさえきっと必要以上に時間がかかる。そんな生活で、誰にその皺寄せがいくかなど分かりきっている。 どうして、今なんだ。 やっと壁が抜けられたと思ったのに、やっと自分の目指す方向が見えたような気がしていたのに。 左手で動かない右腕を握りしめた。どんなに強く掴んでもその事実は変わらない。感覚が戻ることなどない。こんなに、リンゴすら握りつぶせそうなほど強く握りしめているのに、まったく触られてる感覚がない。 ドクターの言葉をどんなに疑おうとしても、俺自身の体のことは俺が一番よく分かっている。もう、俺の右腕は元には戻らないのだ。 「マルコ……」 マルコのお荷物になりたくない。マルコと離れたくない。怖い。助けて欲しい。こんなの、辛くて一人じゃ耐えられない。 |