或る意味勇者で、ただの人間-5


夕食の後、約束通りお兄さんは数学を教えてくれた。お兄さんがしてくれた説明は担当の教師よりも丁寧で、わかりやすかった。きっと頭の悪い僕にわかるように説明してくれたのだろう。あの時解けなかった問題だけでなく、その後もしばらく僕の勉強に付き合ってくれて、試験勉強が大分進んだ気がする。しかし僕はお兄さんに勉強を教えてもらっている間、ドギマギしてしょうがなかった。というのも、僕が難しい問題にぶち当たった時、お兄さんに教えてもらって正解を出すたびに、お兄さんは夕食の時に見せたあの顔をして僕の頭を撫でてくるのだ。そんなことを難しい問題のたびにされたのではたまったものではない。高校生にもなって義理とは言え年の近い兄に頭を撫でられるのはむず痒い。というか恥ずかしかった。

そしてそれからテストまで、お兄さんは自分の勉強もあるだろうに、毎日僕の勉強を見てくれた。おかげで多少不安は残るものの、Sクラスに残れるであろう程度は理解できるようになったのではないかと思う。
実際、試験を解いてみてかなりの手応えを感じていた。やはり試験はかなり難しく、僕一人だったら困っていただろう。直ちゃんに聞くのも時間に限りがあるし。それに彼の勉強時間をあまりにも割いてしまうのは抵抗があった。お兄さんも然り。しかしお兄さんに関しては、何度か途中で断ろうとしたことがある。「お兄さんは日頃生徒会が忙しいから勉強しないと大変ではないのか」といったようなことを伝えたのだが、自分の勉強は済んでいる、の一点張りで頑なに僕に勉強を教えようとしてくるのだ。お兄さんのことだから本当に済んでいそうで怖い。
そしてポジティブにもネガティブにも待ちわびた試験の返却日がやってきたのだった。


「点数が良かった奴は次回はもっと上を、悪かった奴は次で挽回できるよう頑張ること」


いつになく真面目なことを言う担任に不思議な気分になったが、冷静に考えたら彼も仮にも教師。まともなことを言ってくれなければ困るんだ。


「栞ー?どだった?」


しかし返ってきた試験の点数を見た僕は担任なんかに思いを馳せる暇などなく、喜びに打ち震えていた。試験の結果を聞こうとこちらを振り向いた直ちゃんの肩を掴むとブンブンと揺さぶった。


「やっばいよ!!!なにこれ!こんな点数始めてとった!!!しかもこんな難しいテストで!!!」
「ちょ、やめ、しおり、おち、おちつけえええ」
「みて!やばい!これみて!やばい!!」


僕のキャラが崩壊している気がしないでもないが今は僕のキャラが崩壊しようとしなかろうとどうでもいい。問題は、試験の点数だ。


「落ち着け!まずテスト見せろ!……って、えええ!?」
「でしょ!?すごいでしょ!?やばい!」
「やっぱ栞、頭いいんじゃん」
「いや、それはない」


一気に頭が冷える。からのマジレス。
いやしかし、それは本当にあり得ないのだ。あれもこれもすべてお兄さんと直ちゃんのおかげであり、僕が頭が良いわけではない。まあ、今回勉強したから多少賢くはなったかも知れないが、それこそお兄さんたちのおかげなのだ。

昼休み、僕はこれ以上なくソワソワしていた。ウズウズと言ってもいい。とにかく居ても立っても居られなく、今すぐ飛び出したかった。とにかく、お兄さんに会いたかった。会って結果を報したい。しかしそんな時後ろから何者かに飛びつかれた。心臓飛び出るかとおも……わなかったな。


「栞ちゃあん!もー授業中白川とばっかり仲良くして僕妬いちゃう!!何騒いでたのー?」
「うわうぜえ」


前回の席替えで翼だけ席が離れてしまったので授業中に話すことはほぼ不可能と言ってもいい。しかし僕と直ちゃんは場所こそ変われど前回と同じ配置という運命的な偶然により、授業中もイチャイチャすることができる。これも僕の愛の力ではないかと思っている。そんなわけあるか。


「ひでえ!で、テストどうだったん?」
「ふ、今日の僕は機嫌がいいからね、特別に教えてあげよう」
「うわ、いつになく偉そう!でも教えて!」
「じゃーん」
「……え、まじ?」
「まじまじ、おおまじ」


僕は完全に調子に乗っていた。浮かれていたのだ。数学の96点という高得点に。


「おー!栞ちゃん頑張ったねー!よしよし」
「さわんなハゲ。そういう翼は何点だったんだよ」
「えー、俺ぇ?100点」


にへ、とアホらしくはにかむが、僕の点数を聞いた後では言いにくかっただろう。少し言い淀んだ翼に、聞き返したのを少し申し訳なく思った。それにしても、こいつ言動はバカのくせに頭いいとか。僕の点数が霞む。それよりもこんなアホみたいな顔をしてもイケメンはやっぱりイケメンで腹が立ったので頬を引っ張る。


「らにふんほ、ひほひぃ」
「何いってんのかわかんねえよ」


まあ僕のせいだけど。手を離してやると自分の頬に手を当てて痛いよぉ…と嘆いている翼が可愛く見えて、クスリと笑った。


「……!?し、栞たんが笑った……!」
「うわ、これはキツイわ……」
「えっ」


翼はともかく、直ちゃんの僕の笑顔がキツイ発言に絶望した。僕実は直ちゃんに嫌われてたのかなあ。ショックだ。立ち直れない。
僕があからさまに落ち込んでることに気づいた直ちゃんが焦ったように声をかけてくる。


「あ、栞。今のは違う。お前の笑顔がキツイわけじゃない。あ、いやそうなんだけど、違うんだ!いい意味!いい意味で!」


いい意味でキツイってなに。あ、涙出てきた。


「うわーーーーーッ!栞、たんま!やめろ!泣くな!」
「ぐぬぬ……」


焦る直ちゃんに更に涙が出そうになるのをどうにか我慢する。これ以上見苦しいものを見せるわけにはいかない。


「違うんだ、栞。キツイってのは、その、栞は普段あんまり笑わないでしょ?」
「悪どい笑い方ならするけどねー」
「翼、黙れ」
「はい」


むしろ翼を黙らせる今の直ちゃんの笑顔が悪どいのですが。僕、そんなに悪どい笑い方してるかなあ。と言うか僕的にはそんな笑ってないつもりはないんだけど。


「なんて言うか、こう、純粋に屈託のない笑顔?今、素直に楽しいと思って笑ったでしょ?」
「まあ、痛がる翼が可愛いな、って思ったけど……」
「やだ、栞ちゃんてばさてはサディストですか!俺そういう趣味ないけど栞ちゃんのために頑張っちゃう!」
「え、キモい」
「酷すぎワロタ」
「で、話戻すけど、そういう栞初めて見たからさ、ギャップがすごいっていうか」
「白川スルースキル高すぎ!そうそう、ギャップ萌え、ってやつだよ栞ちゃん!あの顔は腰にキたね」
「…………」


正直翼が気持ち悪かったが、大体把握した。はぁ、こんな平凡がたまに笑ったくらいで何言ってるんだか。そんな事言ったら直ちゃんのが可愛いのに。直ちゃんならいつも可愛いのに。


「そういう事だからさ、気を付けてね」
「何をだよ……」
「いいから」


直ちゃんが怖い。涙ちょちょぎれます。


「そういえば、テストの点数やたら良かったけど誰かに教えてもらったの?僕にそんなに聞いてこなかったよね?それともやっぱ元々頭良かったの?」
「あー、お兄さんに……」
「お兄さん?栞、兄弟いるんだ。一人っ子っぽいのに」
「や、義理の兄なんだけどね。母親がこの間再婚して、まあそれでここに転校してきたんだけど」
「そういや転校初日俺の質問に違うって言ってたけどマジで違うの?今の話し聞くとタイミング的にそうとしか思えないんだけど!」
「そんなことあったなー。まあ2人になら話してもいいか」


ここは教室で、他の人に聞かれても困るので声を落とす。この2人はお兄さんのファンってわけでもなさそうだし話しても大丈夫だよね。


「うん。実は翼の言うとおり、会長がお兄さんだよ」
「マジかー!会長って家ではどんな感じなんだ?」
「どんな感じと言われても……普通に優しいよ。勉強教えてくれたし」
「ふぅん……。栞には悪いけど、僕、会長苦手だなー。関わりないからだと思うけどあの人ニコリともしないし、冷たい感じがする」
「あー、俺も。俺らに全く興味なさそー」


ニコリともしない?じゃああの時のあの表情はなんなんだ?あれで生徒達を落としているわけではないのか?それについて聞くと、2人にジッ、と見つめられた。


「へぇ、義理とはいえ弟には甘いってわけ。ふぅん」


直ちゃんは意味深にそう呟いた。そこには一体何が隠されているのか。


「栞、帰ったら会長にテストの結果報告するよね?」
「そりゃあ、もう今すぐ報告したい勢いだけど」
「それはやめといた方がいいけど。じゃあさ、報告する時抱きついてみ?」
「は?」
「えー、何それ会長ずっる」
「ありがとうの気持ちをこめてだよ。可愛い弟に抱きついて感謝されたら嬉しいでしょ?」


そうかなあ。高校生にもなって、恥ずかしいんだけど。それに年の離れた小さい弟ならともかく、こんな大きい弟に抱きつかれても嬉しくないと思うんだけど。


「いいから、やってみ」
「わ、わかった……」
「栞ちゃん!俺にも!はい、おいでー」
「なんでだよ、行かないよ」


直ちゃんの剣幕に呑まれて承諾してしまったが、何故そんなに僕をお兄さんに抱きつかせたがる……。翼も意味わかんないし。








帰宅後、お兄さんが帰ってくるのをソワソワと待つ。試験が終わったのでまたお兄さんの帰りは遅くなるのだろう。お風呂に入り、髪を乾かしていると、ドライヤーの音の遠くにかすかにお兄さんとカホの声が聞こえた気がして、ドライヤーをとめる。急いでリビングに走った。ご主人様の帰りを待っていた忠犬のようだった。


「お兄さんっ」


一瞬躊躇したが、それもほんの一瞬で。お兄さんが僕を見たと同時に僕はお兄さんに勢いよく抱きついた。


「っ、栞?」


お兄さんは突然のことにフラついたが、僕も一緒に転んでしまわないように抱きついた僕に腕をまわし、体勢を持ち直した。お兄さんが困惑しているのが回された腕から伝わってくる。ごめんなさい。


「お兄さん、今日、試験の結果が返って来たんです。それで、あの、全部すごく点数高くて、僕こんなにとれると思ってなくて、だから、その。お兄さんのおかげなんです!」


そういうと、ギュッと抱きしめられた。抱きついたのは僕の方なのに抱きしめられたことに今度はこちらが困惑する。


「あの、お兄さん」
「栞」
「はい」
「その結果は、お前の努力の結果だ」
「え」
「俺は、お前が頑張って勉強していたのを知っている。俺はそれを少し手伝っただけだ」


お兄さんの声は、いつも以上に優しくて、少し泣きたくなった。


「栞。お前が俺と父に申し訳ないと思っているのには気付いている。でも、お前は頑張れるんだ。俺達は、そんなお前だから受け入れた。栞が、俺達のことを気にする必要はない」
「ち、違うんです。僕は、お兄さんに少しでも追い付きたくて。そんな、人のためとか、綺麗な理由じゃないんです。全部、自分のためなんです」


そうだ。Sクラスに残りたいのも、直ちゃんや翼と離れたくないという自分のため。高夜さんに申し訳ないというのも、自分の居場所を守りたいという自分のため。お兄さんに追い付きたいというのも、出来すぎるお兄さんに劣等感を抱きたくないという僕のためだ。全部、自分のため。なんだかんだと理由をつけて、結局、自分のためにしか僕は頑張れないのだ。


「栞」
「っ、はい」
「誰のためだとしても、頑張れることはすごいことだ」


お兄さんは、僕の頭を撫でる。


「頑張ったな」


きっとお兄さんは、あの時の、あの優しい顔をしているのだろう。そう思うと胸が熱くなって、今度こそ本当に涙が溢れてくるのがわかった。
僕は、お兄さんにその言葉を言って欲しかった。褒めて欲しかっただけだった。




僕はもう、お兄さんの家族なんだ









2013.7.8


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翼がどんどん影薄くなってますね。少し話が進んだのではないかと思います。



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あきゅろす。
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