世界放浪と称して家を飛び出してから既に3年。世界一周もほぼ満喫したことなのでそろそろ家に帰るかと今朝宿を出たリネルであったのだが、早々に拾いものをして宿に舞い戻ることになった。厄介ごとに自ら首を突っ込む質ではなかったが、さすがに海に打ち上げられている人間を放っておけるほどリネルは堕ちてはいない。最初はもう駄目かと思ったがどうやら微かに息をしているようだったので拾っていくことにしたわけである。旅の道すがら拾いものはしょっちゅうあったので(というよりも一度手に取ると戻せない)別段驚くことはなかったが、とうとう人間を拾ってしまったのかという何ともいえない気持ちはあった。
さすがに女身で俵担ぎは難しいため、背に負ぶってさっきチェックアウトを済ませたばかりの宿に戻ると、受付嬢がギョッとした顔でリネルを見たが、事情を説明すると親切に対応してくれた。これぞ受付嬢の鏡。これだから旅は止められないのだ。
「っ…?」
「あ、起きた?」
海に行き倒れていた人間はそれはそれは見目麗しい少年だった。さすがに勝手に服を着替えさせることは躊躇われたので、適度に水気を拭き取ってはみたのだが、改めて見ると彼の服装は不可思議だった。所謂宇宙服というのだろうか、体のラインに合わせて設計されているそれはどう考えても一般人の着るものではないのだ。しかも相当に状態が悪い。汚れは勿論、所々に切り傷があり血痕も見える。目立つ傷は応急処置を施しておいたので痛みはほとんど感じないだろう。まぁよくある"訳あり"なのだろう、リネルはそこで詮索するのを止めた。誰しも秘密の一つや二つはある。
それよりも何よりも。リネルは少年の持つ硝子のような瞳に魅入っていた。色白い少年の肌に鮮やかな紅玉はいっそう際立つ。少年はそんなリネルの視線を鬱陶しそうに、訝しそうに見やった。
「…だれだ」
「海に行き倒れてた君を拾ってあまつ、介抱までした今どき珍しいやさしーひと」
「海?」
まだ意識がはっきりと覚醒していないのか、多少ゆったりとした口調で少年は問うた。動作も緩慢である。
少々態度の悪い拾いものだが、リネルは努めて親切に接してやる。こういう手合いには慣れているのだ。
「ナウル共和国の南、ヤレン地区の海岸に聳える、この地区では割と名の知れた宿の、まぁ庶民向けの安っぽいベッドで目を覚ました、と」
「ナウル共和国…」
「広く言えばオセアニアだね」
「…人革連、か」
それだけ呟いた少年はむっつりと黙り込んだかと思えば、すぐにふらふらと立ち上がった。
「感謝する。悪いが僕は先を急ぐんだ」
「あいにく外はついさっき降り始めた雨でどしゃぶりだから出発は明日以降に控えた方が賢明だけど…ねぇ、君、名前は?」
「…名乗る名前はない」
そうふんと突っぱねた少年をリネルはよく知っていた。少年自体は全くの初対面であるが、彼の態度には酷く見覚えがある。少年は過去の自分を今に持っていたくないのだ。自分だけの記憶。だから名乗りたくない。そういう態度は別に珍しくも何ともない。何となく、少年の横顔が寂しげに見えた。
「じゃあ何がいい?タマ、シロ、ポチ、まぁ、いろいろあるけど」
「なんでそうなる!」
「だって私が拾ったんだし。何にせよ、君は今私の保護の下にある。とっとと出て行きたいならまずは私に宿代と治療費払ってくのが先だよね」
まぁ受け取ってやる気などはなからリネルには毛頭ない。寝ている間に置いていくのは礼儀がなってないよねと牽制しておくと、少年は何とも悔しそうに顔を歪めて見せた。こういう手合いには牽制が一番効果的なのだ。
で、早速タマと呼んでみたが完全無視の姿勢だった。まぁあんたとか君とか、何でもいいだろう。
とりあえずはさっきから拗ねているこの拾いものの処遇を決めなければならない。友好的に、友好的に。
「まぁ借金返済までよろしく、お姫さま」
「僕は女じゃない!」
「最初はほんとに女の子かと思ったんだけどねぇ」
怒りの頂点に達したのか少年は真っ赤な顔をして怒鳴り始めた。少年はどちらかと言えば感情の起伏がないような体をしていたので、リネルは妙にほっとした。となれば後は加虐心が膨らむままに突き進むのみ。
「まぁまぁ、仲良くしようじゃないか、一文無しくんよ」
「くっ…借金なんてとっとと返してやる!」
威勢がいいのは元気な証拠。この調子なら傷の方も心配ないだろう。良いことだ。そう笑うリネルを後目に、少年はいじけて布団に潜り込んでしまった。
世界からの離脱
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