夕日に染まる教室。誰もいなくなったそこで居残りを命じられ掃除する生徒が一人。
窓の外からは運動部の練習が聞こえてくる。それが一層、一人でいることを強調させる。
面倒くさい。こんな事さっさと終わらせて帰りたいのに、手を抜けばまた明日もやらされるのが分かっているから投げ出せない。

「クソっ!」

床を磨いていたモップを苛立ちに任せて叩きつける。物に当たっても仕方ないが、当たらずにはいられない。
しかし拾うのも結局自分。悔しさに涙を浮かべながら、伊藤開司はまた床をゴシゴシと擦り出した。

「何してんだお前」

戸を開け放したままの入り口から声が聞こえ、カイジは振り返った。と同時に泣き顔なのを思い出して慌てて手の甲で拭う。
見たことあるようなないような、背格好から教師だろうということは分かるが、担任でも教科担当でもないその人物をカイジはよく知らない。
誰だっけ?と疑問がそのまま顔に出ていたようで、スーツは着ているが胸元のボタンを外し大きく着崩したおよそ教師らしくはないその人は訝しげだ。

「掃除は業者委託だろ」
「そうなんですけど・・・・・・ちょっと色々あって」
「別に俺は構わねぇがな、そろそろ下校時刻だ、急げよ」
「はい・・・・・・」

何だったのかな、と思いつつ確かに急がねばと手を動かし、ギリギリになって終わらせたカイジは校門を出た。途中通ったグラウンドにはもう部活動の生徒はいなくなっていたし、夕日もすっかり沈んでしまった。ここ最近は毎日こんな調子だ。

「よぉ、やっと帰りか」

門を出た途端、聞き覚えのある声。先ほどの教師、だと思われる人物が門脇に寄りかかりタバコを燻らせ立っていた。

「あ」
「この後予定入ってんのか?」
「いや、ないですけど」
「じゃあちょっくら付き合え」

訳も分からぬままカイジは門の近くに停めてあった車に放りこまれた。
いまいち知らない教師(仮)に突然行き先も告げられず車に乗せられる。拉致されるなんてことはないだろうが、一瞬よぎるくらいには十分怖い。
そんなカイジの不安などお構いなし、上機嫌に鼻歌交じりでハンドルを捌き、ややスピード違反の荒っぽい運転の(仮)。

「あの、どこ行くんですか?」
「腹減ったし、ラーメン屋でも連れてってやろうかと思ってな」

何だそれならそうと早く言ってくれたら、とカイジが安心したのも束の間。
道路沿いに何軒ものラーメン屋を見送って、一体どこの店を目指しているのかと考えていたら車は高速道路の料金所に向かっていく。

「え、え?!」
「旨い店があるんだ」
「いや・・・・・あの、どこまで行くつもりですか」
「近くだよ」

近く、というのは高速道路で小一時間飛ばし、隣の県まで行く事を指す言葉だろうか?この辺に有名店が多いのは知っているが。
しかしその時間で教師(仮)が仮ではないことは教えてもらえた。赤木しげると名乗った壮年の彼にあまり見覚えがないと思っていたら今年赴任してきたばかりだという。
カイジが二年に進級してまだ二ヶ月あまり。教師は一年生の教科担当。接点が少なくて当たり前だ。

「それで赤木先生、どうしてこんな遠くまで連れて来てくれたんですか?」
「特に理由なんざねぇが、強いて言うなら掃除ご苦労さんってとこか」
「はぁ」

素直に納得出来かねるが、ラーメンは美味で大人しく感謝してもいいかもしれない。
食べ盛りのカイジに好きなだけ食べさせて、腹か減ったと言っていた当人は少し食べただけで後はのんびりタバコを吸いながらカイジの食べっぷりを眺めている。

「ご馳走様でした」
「ん、また機会があったら誘うから付き合えよ」
「はい」

業者委託の清掃作業を何故放課後一人でやっていたのか、その辺を訊かれるのかと心中で構えていたのだが赤木は何も言わず、カイジの自宅まで送ってくれた。
結局何だったのか良く分からないままで、変わった教師なんだな、と思う事にした。
そして翌日。今日も放課後、カイジは雑巾を手に教室の窓ガラスを拭いていた。それをまた通りかかった赤木に見つかった。

「今日もやってんのか」
「赤木先生」
「ま、頑張れよ」
「・・・・・・はい」

カイジがこんな事を毎日やらされている理由。それは一種のイジメ、それも担任教師からの、である。
私立高でそれなりには校則もあるが比較的緩い。しかし担任は学年主任かつ生活指導担当で頭髪に関する規則はないのに長髪のカイジが気に入らない。
それだけで毎日の掃除に繋がった訳ではないが、注意しても聞かないどころか反抗的な目つきで返される、成績も授業態度もそこまで真面目じゃない、クラスでも浮き気味な生活態度。何かと頭を悩ませてくれる問題児に苛々は募る。
そして引き金になったのが遅刻だ。カイジは普段遅刻魔という訳ではないが、その日は腹の調子が悪かった。仕方なくの遅刻だったのに、虫の居所が悪かった担任とぶつかってしまった。
必要以上に怒鳴りつけた担任にムカついて、腹具合のせいもありこれまた必要以上に反抗したら罰として放課後に掃除を命じられた。
当然カイジは無視して帰ったのだが、それがさらに担任の怒りを買った。やるまで煩く言われると数日後諦めたカイジは一人居残って掃除をしたのだが、そのやり方が雑だ何だと言われ、結局次の日もその次の日も掃除を繰り返す羽目になった。
もちろん反論はしたが、完全に目を付けられた今となっては言い争う事の方が煩わしくて、何でこんな事になってしまったのか嘆きながらも続けている。
掃除が嫌なら髪を切れとか、母子家庭だから教師に舐めた態度を取るんだとか、言われたくない事を言われ心を抉られる。怒りは溜まるが激情に任せて殴りでもしたら停学は免れない。その程度で済むなら手を出しているだろうが下手して退学にでもなったら。
カイジ個人としては学校なんてどうでもいいのだが、親に迷惑をかけるのは気が引ける。こだわりがあって伸ばしている訳ではない髪も切れと言われて従うのは絶対に嫌だ。掃除で文句が減るならその方がいい。
情けなくて悔しくて、誰もいない教室を綺麗にしながらよく泣いていたのだが、初めに会ってからは毎日赤木が教室を通りかかり一声掛けていってくれる。何となくそれが楽しみというか、カイジの救いになっていた。
そしてラーメン屋に連れて行ってもらってから数日後、また門を出たところで赤木に捕まった。

「明日休みだろ、ちょっと遠出して旨い焼肉でも食わねぇか?」

近くのラーメン屋で隣県に行ってしまう人が遠出だと宣言したのだからまさか海外・・・・・・いや、パスポートもないしさすがにそこまではないか、と少し躊躇もしたがカイジは承諾し車に乗った。
結果、外国ではなかったがある意味海外ではあった。
車は前回よりもスピードオーバー状態で空港へ向かい、乗った飛行機は北海道へ降り立った。
そして夜遅くまで営業しているジンギスカンの店へと連れて行かれた時には驚く事に疲れてしまっていた。それでも腹は空きまくっていて、初めてのジンギスカンの旨さに感動したのも相まってガツガツと食べまくった。
そんなカイジをビール片手にやっぱり楽しげに眺めるばかりの赤木。

「食わないんですか」
「食ってるよ、でも若くねぇんだからお前ほどは無理ってもんだろ」
「でも何か、遠慮するっていうか、食べづらいというか」
「そんだけ食っといて今更だろ、いいから気にすんな」

やっぱり赤木の意図はよく分からない。変わった人なのは確かでも、ここまでしてもらう理由がないのに訊いても気にするなで終わり。困惑するなという方が無理な話だ。
食べ終わった時にはとっくに最終便がなくなり、その日は近くのビジネスホテルに一泊した。
翌朝、さっさと空港に戻ろうとする赤木に対しうっかり「あっ・・・・・・」と口にしたら、どこか行きたいのかと訊かれて、気を遣わせた形に益々カイジは恐縮してしまった。
焼肉を食べに行くとしか言わなかったのだから帰るのも赤木の自由だが、わざわざ北海道まで来て、しかも一日あるのに朝から帰るとなればカイジがついつい勿体ないと思っても仕方ない。

「北海道初めてで、旨い物もいっぱいあるし・・・・・・」
「そうだな、それならまずは朝飯でも食いに行くか」

泊まっていたホテルから駅寄りに、チェーン店だが北海道限定で有名な珈琲店があり、そこへ入る。
予想通り赤木はコーヒーだけ、カイジは店のお勧めだというモーニングプレートを頼む。

「あ、うめぇ!」
「だろ」

所詮チェーン店だしと侮っていたら存外美味しくて、有名になったきっかけの珈琲はもちろん言うまでもない。
腹ごしらえが済むとタクシーを捕まえて、行ける範囲の観光地を回る。昼にはスープカレーを、飛行機の関係で少し早めになった夕食には海鮮の美味しい店で寿司をご馳走してくれた。そして機上の人となり帰ってきた。

「色々ご馳走様でした、観光も出来て楽しかったです」
「構わねぇよ」

自宅前で、笑いながらヒラヒラと手を振って去っていく赤木を見送って、何でこんなに良くしてくれるのかカイジは首を傾げた。
旅費を含めて今日使った額は相当だった。ロクに入っている訳ではないが、食べた分くらいとカイジが財布を出しても全額払ったのは赤木だ。その財布の中にかなりぎっしりと札が詰まっていたのをカイジは見てしまった。
中学時代、教師なんて安月給なんだぞと聞いた事がありそうなのだと思っていたが実は違うのだろうか。それとも私立だから?
疑問はたくさんあるが、どうせはぐらかされて答えてはもらえないだろう。

「カイジ、もう掃除しなくていいぞ」
「え?」
「その・・・・・・今まで悪かった」
「はぁ・・・・・・?」

昨日の飯は全部旨かったなぁと思い出すだけで幸せな気持ちに浸れる。学校は憂鬱なだけだが、今日は少し楽しく過ごせそうだと登校してきたカイジに、朝のホームルーム後、突然担任が謝罪してきた。
言葉は謝っているが、表情は苦々しくあまり本心からという誠意は感じられない。その割に青ざめていて何が何やら。でもこれでもう放課後残らなくても済むのだから細かい事はこの際無視しよう。
久しぶりにまだ夕日が傾く前校舎を出たカイジは満足気に帰って行った。
これが当たり前なんだよなぁと寄り道も出来る時間的余裕を噛み締めて、最近は足が遠のいてしまっていたゲーセンを覗いたり、そんな金は持っていないから見るだけだが好みの服屋を回ったり。楽しくてつい時間が経つのも忘れていた。
幸せは長続きしないとはよく言われるが、カイジの場合僅か一日で終了してしまった。
次の日の放課後、早速帰ろうとカイジがカバンを手に教室を出た途端、校内放送がかかる。
聞き覚えのある赤木の声で図書室に来るよう命じられた。もう帰れると思っていたのだから非常に面倒くさい。でも他でもない赤木の呼び出しならば行かない訳にもいかず。

「失礼しまーす」
「来たか、早速で悪いんだがちょっと手伝え」

赤木は図書室の、古い書籍の修繕をしていた。そして補修用テープをポンと渡される。
散々奢ってもらった手前何で俺が?とは言いたくなかったのに、弾みでつい呟いてしまった。
赤木は気にした様子もなく、バイトだと思えよ、と。バイトとはどういう事か、今度は訊きたくて言葉にすれば、手伝ったらまた飯食わせてやるからと返ってきた。
別に奢ってもらわなくてもいいが、既に食べた分がある。ラーメンとジンギスカンは誘われたとしても、帰ろうとした赤木を引き止めてしまった北海道での一日を思えばこれくらいやるべきだろう。
分かりましたと了承し、カイジは赤木に倣ってボロボロの本を手に取った。

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