日出ずる、鐘の音鳴りて5
「私共の力不足で、それだけの大金は集まりそうにないのですよ」
「それは実に残念だ、諦めて貰うしかないね」
「しかし、金のなる木ならばあるんですよ」

伊沢に合図され、背後で控えていた森田が持っていた鞄と共にその隣に付く。頭を下げ、森田鉄雄ですと名乗る。

「彼が何だと言うんだ?それが金のなる木?」
「そうです。平井銀二の頭脳は素晴らしいが、それに匹敵するのが彼です」
「そうは見えんがね……」

訝る爺に、森田は傍らの鞄を開けて見せる。中身は掻き集めた七十六億円。

「これが、俺たちの用意出来た全財産です」
「ふむ、なかなかの大金だが……それで売ってくれなんてまさか言わないだろうね」
「いえ、貴方に売って貰いたいのは挑戦権です」
「挑戦権……?」
「平井銀二が貴方に持ちかけたという勝負、それを俺にもやらせて下さい」

森田の真剣な顔を、爺は鼻で笑い飛ばした。気は確かかと首を振る。
正気の沙汰ではない、とは皆が一度は言った台詞だが、眼前の下衆に言われると腸が煮えくり返る思いがする。その感情を表に出してはいけないと、森田はテーブルの下で握った拳の中に爪を立てた。

「先生方もお疲れなんじゃないですか?そんな若造が切り札とは。日本を背負う現職の大物だと思うから来てみたが、これは失望せざるを得ないね」
「いいえ。正真正銘、彼が私らの用意出来る最高の宝ですよ」

横柄過ぎる不遜な態度に森田は手が出かかるのを抑えるしかないのに、土門と井沢の平静とした構えはいっそ恐怖を感じる程の凄みを孕んでいた。
目の前の爺にはそれが分からないのか。相変わらず小馬鹿にしたような含み笑いを止めない。

「君は平井銀二が持ち掛けてきた勝負の内容を知ってるのか?」
「知っています」
「だったら分かるだろ、勝ち目などないのは火を見るより明らか。違うかね?」
「俺が聞いているのは、この手持ち財産で挑戦を受けて貰えるのか否か、もしもその勝ち目のない勝負に勝てたら平井銀二を返してもらえるのか、それだけです」
「まだ言うか!」

森田の真っ直ぐな目に気圧されでもしているのか、爺は不快感を顕にテーブルをガンッと叩きつける。拍子に倒れた徳利から酒が溢れ出す。

「そこまで自信がおありならば受けて頂けるでしょう?我々が負けるならば貴方は七十六億もの金を得られる。そりゃ貴方から見れば端た金でしょうが」
「ああ、いいだろう。そこまで言うならば受けてやる!」
「平井銀二の時と、同じ条件で構いませんね?」
「構わん!それにしても、先生方はもっと賢明だと思っていたよ。こんな若造の言いなりだとは嘆かわしい!いずれ世話になるだろうとも考えていたがその前にあなた方は日本社会から消えるだろうな!馬鹿馬鹿しい」

苛立ちに任せて立ち上がると、爺は後は代理人に連絡させると言い残し、来た時よりも煩くドスドスと足音を響かせながら部屋を出て行った。
その耳障りな音が遠く聞こえなくなると、森田は崩れるように肩の力を抜いた。

「大丈夫かい?森田くん」

後方で控えていた土門が慌て支えに寄る。スミマセンと森田は何とか姿勢を正す。

「よく頑張ったよ、大した肝だ」
「いえ、お二人のお陰です」
「ここで奴の言質を取る事が肝心で、難関だったんだ。大きな一歩だろう」
「はい。それでも・・・スミマセンでした」
「何がだ?」
「あんな失礼な暴言を、お聞かせする事になって。俺がもっとしっかりしていれば・・・」

改めて向き直り、深々と頭を下げる森田。その肩をポンと叩き、上げたまえと井沢は微笑んだ。金があろうとも物事の本質が見えない小物の戯言など痛くも痒くもない。この程度が無視出来ないようではここにはいないと。
その言葉に土門も頷く。が、しかし解せないともぼやく。

「何であんな阿呆が、裏社会を牛耳ってるんだね?金があっても転がせずに破産しそうなものだが」
「奴にはブレインが付いてるんですよ。奴の息子で、実際の資金運用は彼の腕に掛かっている。既に大きくなった会社の肩書きがある程度の暴挙をも支えてしまうのでしょう」
「息子、ですか。詳しく教えて貰えませんか?」

表舞台に出るのは爺ばかりで、息子の事は噂程度にしか知らないと前置きしてから井沢は話を始めた。
それをすっかり聞いて、森田は立ち上がった。

「ありがとうございます。後は出来る限りの事をしてみます」
「我々も協力はするが、君に掛かっているんだ。頑張りたまえ」
「はい!」

数日が経ち、フタバマンションの一室に森田達は集まっていた。
一見探りようのない物事を探るのは彼らの十八番。それだけの実力を持った先輩が仲間である事に心底感謝していた。

「奴に息子がいる事自体が公にされてないみたいだな。戸籍上は何の繋がりもない横溝という男だ」
「奴の側近でもねぇよ。普段は子会社の一つを任されてはいるが、周囲には一従業員として扱われてる」
「ただ、奴との連絡はやたら頻繁で、電話や電子メールなんかのやり取りが一部残ってたよ」

上がってくる報告に森田は一々頷きながら聞き入った。器ではない男を陰から支えるだけの男。目的は一体何なのか。それだけの才能があるならば一人でやっていけるだろうに。

「井沢先生が知ってたってのが驚きなくらい秘密主義な男だよ。クラブに顔を出した事もないみてぇだしな」
「その横溝という男に会うことは可能ですか?」
「ああ、そう言うと思ってアポは取っておいた。でも、事情は話してねぇよ、奴に感付かれて下手な手回しされると厄介だと思って、会社の新規取引で相談があるって事にしてある。偽名でな」

それで十分です、と森田は礼を述べ、横溝という男の会社の資料に目を通す。
工業部品の工場。パチンコ台などをメーカーから依頼され型を作ったりしているらしい。
銀二が行なった勝負は全財産を掛けるには単純かつ運によるところの大きいものだった。
その割合が、普通に考えれば0というもので、おそらく“真っ当”に当たれば森田でも勝てないだろう。

『136×10、1360個の牌を用意し、全てを伏せておく。見ずにそこから互いの指定した役だけを抜き取り作る。牌はそちらで用意してくれ』

これが銀二が持ちかけた勝負だ。もしも半数ずつの用意ならば何かしらの仕掛けを牌に施しておくことは可能だったろうが、それを放棄しての勝負。
手役が作れなければ罰金百億円。指定とは違っていても手役が完成すればリーチやドラ等を抜いた役の純粋な点数×百億、指定通りで点数×二百億円。互いに役が出来ていた場合は点数が負けた方が勝者へと全額支払う。差額はなし。
この互いに無謀に思える勝負、牌を用意したのは爺だ。おそらく、作ったのは横溝という男。巧妙なガンが付けられていたに違いない。それをされると分かっていて、銀二は己に残されている運を使い果たしに行ったのだろう。

「銀さんが勝負した時、同席した人っているんですか?」
「あぁ俺ら三人とも付いて行ったよ。見届けたんだ、あのインチキ極まりないゲームをな」
「相手が全勝なのは分かってますけど、銀さんは役作れたんですか?」
「ああ。五回ずつ役の指定をしたんだ。これがイカサマのない136牌の中から選ぶなら心理戦も絡んで良い試合になったはずなんだ」
「それでも銀さん化け物じみてたぜ。五回の内二回は役作ったんだからな。どっちも指定とは違ってたけどな」

そうだったんですか、と森田は静かに目を閉じた。やはりあの人はこのまま埋もれていい存在ではない。それだけはあってはならないと強く感じる。全てを賭けにいって、その数から必要牌を抜く。相手がどうこうではなく、何の情報もない中からそれが出来るだけの運がそもそも尋常ではない。
その銀二ですら手の届かない極みだと、至高の翼だと言わしめた森田の豪運ならば、どこまで飛べるのだろうか。

「でもなぁ、お前でも相手が百パー勝つ様に仕組んできた牌ではせいぜい惜しい所止まりだぞ」
「勝負を約束させたのはいいが、どうするんだ?運任せで体当たりするのか?」
「初めはそのつもりでした。でも、少しだけ、勝つ可能性を上げるために抗ってみます」

[*前へ][次へ#]
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!