日出ずる、鐘の音鳴りて1
深夜。そろそろ寝ようかと考えていた矢先の突然の訪問者に、森田は驚きと怪訝な顔を隠せなかった。

「巽さん……」
「こんな時間に、すまない」

時間帯より来訪そのものが問題だ。
金と欲にまみれ騙し合う日常から逃げ出して、もう三年になるというのに。今さら何のつもりで来たのか。
それがあまり有り難くないであろう事は直感が教えてくれた。
かつて散々世話になった相手を無下に追い返す訳にもいかず、部屋に上げ茶を出したものの森田の顔は未だ強ばっている。

「迷惑だったよな、本当に」
「……用件は何ですか?力にはなれないと思いますけど」
「そうだよな……森田はもうこちら側の人間じゃないもんな……ごめん」

相変わらず室内でもサングラスを外さない姿は数年前決別した時と変わらない。けれど、引退して暫く経つ元悪党見習いにまで何かしらの手を借りたいほど緊迫しているのか、焦燥や疲れが酷く滲み出ていた。

「こんな事お前に言うべきじゃないのは分かってる。俺達だって長くこの世界にいて、覚悟はあるんだから」
「前置きはいいですから、どうしたんですか」

こんなにも弱気になっている巽の姿を見るのは初めてで、つい心配してしまった。もっとも見知った相手で、個人的な恨みや嫌悪などないのに徹底的に無視出来るほど森田は非情にはなれない。
その優しさに付け込んでしまう事を悔やみ、けれど一縷の望みに縋りたい己に従って、巽は絞り出すように呟いた。

「銀さんが……失脚した」
「!!負けたって、事ですか?」
「初めから無茶な賭けだったんだ。何度も止めたのに……」

森田の顔色が少し青ざめる。平井銀二は負けると分かっている勝負に手を出すような人ではなかった。傍目には勝算など見つからなくたって、きちんと計算して、それがどんなに薄くても勝ちの目を見出してから挑んでいたはず。
それがどうして……?

「で、でも……それは覚悟の上だったんでしょう?」
「もちろんそうだ。勝つか負けるか、それだけの世界だから……金や権力を全て失っても受け入れるしかない……例え殺されてもな」
「まさか、銀さん殺されたんですか?!」

ざわざわと場も森田の心中も波を打ったように騒がしくなる。
どんな目に遭ったとしても自己責任。裏社会の鉄則であり、身を委ねられなければ高みには登れない。例外などなく、目の前の巽はおろか銀二もミスすれば潰される。当たり前の事なのに、まさかあの銀二がという驚きが拭えない。

「いや、死んではいない。でも……」
「でも?」
「いっそその方がどんなに良かったか……」



都内の一等地。閑静な高級住宅街には眺めるだけでため息と目玉が出そうになる豪奢な邸宅が並んでいる。敷地面積が広く、それぞれが果てまで続きそうな塀に囲まれ、外装からしていかにも金がありますと主張している上、門番に警備員がいる家も少なくない。
森田にとっては吐き気さえ覚える景色がひたすら車窓を流れ、目的のそれはやっと現れた。周りの大邸宅に負けず劣らず煌びやかな一軒。当然の如く門の前には人がいて、森田は久々に袖を通した色鮮やかなスーツの内ポケットから封筒を取り出し、運転席の窓から丁寧に折りたたまれた中の紙を示した。
無言のまま重々しい門扉が開き、どこに潜んでいたのかさっと数人の黒服が出迎える。
車を降りた森田から鍵を受け取り、客人の車を然るべき場所へと慎重に移動させる係、どうぞと目の前に聳える豪邸に案内する係、お荷物お持ち致しましょうかとまるでホテルのベルボーイばりの係までいる。
嫌な事を思い出す、かつて銀二と共に足を踏み入れた某宅が蘇った頭を僅かに振って掻き消した。

戸を開けられ、絨毯の敷かれたフロアを抜け、ある一室に通される。ここまで見てきたどれもが惜しみなく贅の限りを尽くしたような、森田から見れば権力の誇張であり下品な逸品ばかりで、堪えてきた吐き気がまた込み上げてくるのを感じ胸を抑えた。

「生憎今夜は主人が不在ですが、商品をお楽しみ頂くのでしたら私から説明させて頂きます」
「……お願いします」

部屋に入るなり、黒服の一人が畏まってきた。
体の沈むふかふかのソファーで取り出した煙草を吸おうとすれば、すかさず別の一人がライターを差し出してくる。これが肌も顕なお姉ちゃんならばキャバクラだけれど、いかんせん周りは黒服ばかり。さしずめホストクラブ……それにしては威圧感が凄まじいが。

「既にご存知でしょうが、改めてご説明させて頂きます。私共の扱う商品はいずれも必ずやご満足頂ける自慢の逸品でございますが、ランクが分かれておりまして料金が異なりますのでこちらでご確認下さい」

渡されたのはレストランのメニューのような冊子。例に漏れず革張りで手触りの滑らかなの表紙を捲ると、写真とそこに写る人物の簡易プロフィール、基本からオプションまでの料金が書かれていた。料金のついたメニューにはキスからセックスまでの性的サービスから、生着替え、写真撮影、玩具を使ったプレイまで事細かに記してある。まさに風俗店のそれだけれど、街中のそれとは値段が格段に違う。一時間部屋にいてキスを一回するだけでも十万はかかるが底値での話であって、人によっては同じメニューでも百万近くかかる。
それもそのはず、写真に写る人物の誰もが有名人なのだから。名の知れたタレントもいれば、政界を賑わす先生やどこぞの大企業の社長までいる。もちろん男女問わずに。
しかし幾らページを捲っても目的の人物は見つからなかった。

「これで終わりじゃないですよね?」
「それで全てでございます」
「裏メニューがあると聞いて来たんです。金ならあります」

森田は持ってきていたカバンを開いて見せた。中にはぎっしりと詰まった札束。

「三億あります。足りなければ仲間がすぐ持ってきます」
「畏まりました。それでしたら……」

目の前の黒服が指示すると、すぐさま別のメニューが用意された。
開くと、先ほどのメニューとは桁違いの料金と共に数人の写真が貼られていた。その中に、森田が探している人物はいた。

「こちらは訳あり品でございますから、通常新規のお客様には提供しかねるのですが、森田様は巽様のご紹介でしたのでお出し致しました」
「この人……一晩お願いします」

通常訳あり品と言えば、規格外サイズの野菜や傷のついた家電、在庫過多の諸々なんかの事で通常よりもお手ごろ価格で手に入るものだけれど、ここでの訳あり品は文字通り訳のある品で、決して表メニューより劣っているという意味ではない。その証拠に、用意された部屋に入る前に森田は一晩の基本料金一億を支払った。表メニューの最高額ですら到底届かない値段。そんな破格でも需要があるから供給されている。聞けば毎晩指名されている、らしい。

部屋は外観からの期待を裏切らない、高級ホテルのスイートルームのような造りだった。広々としたバスルームはもちろんミニバーもあるし、キングサイズのベッドには天蓋まで付いている。クローゼットを開けるとスーツを始め様々な衣装が揃うも、どれもが肌触りの良い高級品で、コスプレ衣装とは言っても量販店のペラペラセーラー服などとは格が違いすぎる。
その衣装の下に大きなトランクが数個置いてある。引き出して一つを開けてみれば中には卑猥な用途に使うバイブから針なしの注射器、手錠やロープまであらゆるアダルトグッズが詰まっていた。

森田が一通り探索を終えリビングで一服していると、森田を案内してから一度出ていった黒服が商品を連れて戻ってきた。

「お待たせ致しました。禁止事項や追加オプションなどの料金もこちらに詳しくありますので、一読してからお楽しみ下さいませ。何かございましたら内線でお願い致します。それではごゆっくりお寛ぎ下さい」

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