PRINCESS & KNIGHT6
扉の外を部下の兵に任せて、隊長は詰所へと帰っていく。涯の見張りを増やさなければいけないし、明日の事を話す必要もある。部屋を出ていく背中はがっくりと項垂れ、疲れすら漂っていた。
あまり隊長に心配をかけさせるなと女王に言われたけれど、どうしても譲れなかった。二人きりにならないと涯は護衛隊として接するしかない。それでは絶対に仲良くなれないし、隠し事だって暴けない。

「零様、私も外に出なくてはいけないのですか?」
「ごめん、でもどうしても二人きりで話したいんだ。涯の目的が王たちの命だったり、政治絡みのスパイだったら一刻も早く解決させないと」
「それは分かっておりますが、零様はランチもこのお部屋で召し上がると仰いましたので、お茶の準備や片付けなどはどうなさるのかと……」
「あぁそういう事なら自分でやるから。ポットやお湯の用意だけはお願い出来る?」
「はい」

隊長だけではなくメイドも仕事を奪われる事に沈んでいる。休めると喜ばず零の手を煩わせる事を心配するのだからメイドの鑑だと褒めてやりたい。
可哀想だとは思うけれど、十七年の内でここまで我が儘を通した事はないのだから諦めてもらうしかない。

早々にベッドへと潜り込むと、日課の読書もせずに零は晩餐の時の様子を思い返してみる。
手紙に書かれていた涯が逃げる可能性。どこを見てそれを感じたのかどうしても分からない。何度も涯に会っているから逆に見えなくなっている部分があるのかもしれない。
王と女王の経験値には遠く及ばない。でも涯の事は誰よりも理解出来るようになりたい。
逃げ出しそうな気配がどこかにあったのだとして、涯が逃げたくなる理由もまだ分からない。

昼間、俺に構うなと言われた。どうして俺みたいなやつに秘密を喋るのか、とも。涯がおかしくなったのはあの時からだ。
零が男だと知ったから逃げたくなる、なんて事はさすがにないだろうけれど、秘密を喋ったから逃げようとしている可能性はある。秘密を持って出ていくのはスパイの仕事になるけれど、知ったのは姫の正体だけ。発表すれば国中が騒ぎになる大事件だけれど、知って得する者なんているのか。
王の国政に不満を抱えていて、姫の婿になり王の座を手に入れようと目論んでいた者がいたとする。そいつは姫が実は跡取りになれると知り、婿になれないならと命を狙ってくるかもしれない。
しかしそれだと秘密を知った事が引き金になるだけで、今の時点での涯には当てはまらない。

たぶん、こういう事ではない。
涯の意思で城へ潜入したのか、誰かが送り込んだのか、それがまず判明しないと先が見えない。
仮に涯の意思だとすると、やはり政治への不満だろうか。涯の育った施設は貧困街との境にある。犯罪組織も乱立し、決して治安が良いとは言えない環境だったのだろう。改善要求か、いっそ恨みや不満を直接ぶつけに来た。
ありそうな理由だけれど、それだと秘密を知り動揺する必要はない、か。
雇われた場合、やはり政治的な絡みが濃厚な線だろうけれどそれでも姫から個人的な秘密を明かされて困る事はないはず。

考えても考えても、涯が取り乱した理由と繋がりそうな仮定が出てこないし、逃げる理由もどうしても浮かばない。
涯の口から聞き出せればそれで済む話だけれど、訊ねる切り口や焦点を見つけられない。
深夜に差し掛かった時計を見てそろそろ眠らないとと思うのに、もどかしさばかりがぐるぐると体を巡って気分が悪くなってくる。

目を閉じて、頭を一旦空っぽにしようと難しい数式を思い浮かべてみたけれど数字や記号に涯の顔が紛れ込んで余計にややこしくなってくる。
深呼吸を二、三度繰り返しだめだと諦めると、零はベッドから下りて寝室の隣の部屋へと移った。
いつも主に過ごす部屋。勉強したり、食事をしたり、隊長やメイドと話すのもこの部屋。夜はメイドが二時間交代で緊急の用に備えて待機している。
就寝時と起床時、着替えが必要な時などは必ず特定の、いつものメイドが部屋にいるけれど休む時間も当然必要で、今は別の者が編み物に勤しんでいた。

「姫様、如何なさいました?」
「寝付けなくて。悪いんだけど温かいミルクか何かもらえる?」
「かしこまりました、ただ今お持ちいたします」

薄暗い照明を明るくさせようとしたメイドをそのままで、と止めると彼女はテーブルに置かれた燭台を一つ持って灯りを揺らしながら部屋の奥のキッチンスペースへ消えた。
準備に少し時間が掛かるだろうと踏んで、零は窓辺へ歩み寄る。背の倍以上はありそうな高い窓。引かれている薄いレースのカーテンを捲って窓を開け、バルコニーに出る。
中庭に面していて、小さな照明に照らされた花壇の花が可愛らしい。遠くの塔や城壁の上に小さく人影も見える。夜中こそ気が抜けないものだとよく隊長や兵が溢しているなと思い出す。
月か星が見たかったけれど曇っているのか空は暗く明かりは見つけられなかった。吹く風も少し湿り気を帯びている。明日は雨かもしれない。

「姫様、夜風はお体に障ります」

背後からメイドの声が聞こえ、零は大人しく室内へと戻り窓を閉める。

「ミルク、お持ちしました。蜂蜜もありますが何かリキュールを混ぜた方が良く眠れると思います」
「ありがとう。それじゃブランデーを少し垂らしてもらえる?」
「……はい、どうぞ。少し熱いのでお気をつけて召し上がって下さい」

椅子を引きテーブルに置かれたカップを手に取る。熱いかもと言ったけれど、温度は丁度飲みやすいように調整してある。
一口含むとほのかな甘さとブランデーの香りが広がって体と心がほっと落ち着く。

「顔色が少し優れませんが、風邪でも召されましたか?」
「ううん、大丈夫。少し考え事をしてたら目が冴えちゃっただけだから」
「そうですか。私、もうすぐ交代の時間なのですがリーダーをお呼びした方がよろしいですか?」
「まだ時間じゃないでしょ?もう寝るから平気、ちゃんと休ませてあげて」

リーダーとはいつものメイドの事。朝の早い時間から部屋で零の起床に合わせ準備を整え待機し夜遅くまでのほとんどの時間を傍で世話をしながら過ごすのに、妙な時間に起こしては気の毒すぎる。

「さっき何作ってたの?」
「お部屋の花瓶の下に敷く小さなマットを新しくしようと思いまして。これ、毛糸ではなく麻紐なんです」

作りかけを開いて見せてくれる。花をモチーフにしたレース編みのようでお世辞抜きに上手い。

「姫様は編み物はされないのですか?」
「習ったから何か作れるとは思うけどね、あまり向いていないみたい」

料理や裁縫、楽器、華、香など一通りは習い身に付けたけれど普段実践する機会がない。
せっかく技術はあるし、勉強漬けの毎日からは解放されたのだから何かやってみてもいいかもしれない。趣味の幅を広げるのは良い事だし、上手く出来たら涯にプレゼントしてもいい。

「ご馳走様。ありがとう、落ち着いた。ゆっくり眠れそうだよ」
「良かったです。おやすみなさいませ」
「おやすみ」

ベッドに戻って、今度は涯に贈ったら喜びそうな物を考えてみる。手作りを贈るなんて生まれてこの方誰にもした事がない。友達になるんだから、友情の証に…………。
難しい事を思うより単純に楽しい事を想像する方が心身共に健やかになる。
これなら本当に眠れそうだと零は目を閉じた。

これから季節は暑くなる。この国は四季があるからその前に長雨の時期も訪れる。
外に出られる機会も減るだろうし、勉強と読書の合間に何か作ろう。お菓子作りだったら涯を呼んで一緒にやっても面白いだろう。さっきのメイドから麻紐をもらって実用性のある何かを作れば涯ももらってくれるかもしれない。
無事に全てが解決したら、涯と旅行にも行きたい。前からいつもの城下町以外の場所に行ってみたいと思っていた。山は城や街からも見えるけれど、国土が面しているのに海を見たことがない。暑い季節には海水浴をするらしいから、海に行って遊んでみたい。それなら体を拭くタオルを縫ってもいい。
それから秋になったら牧場にも行きたい。動物も図鑑で見るばかりで、たまに街で犬や猫が飼われているのを見かけるけれど触った事もないし、馬車には乗るのに馬そのものには乗った事がない。
涯の乗馬姿を頭に浮かべてみたら格好良くてとても様になっている。
呼びつけるばかりでなく、今度は訓練を見学しに行こう。涯の組手も見てみたい。きっとすぐに武器も使いこなせるようになる。護衛隊は皆乗馬の訓練もするから、ついでに乗せてもらったり。

楽しい日々を空想し、幸せな気持ちに浸ると零はいつしか眠りに落ちていった。

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あきゅろす。
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