夏目友人帳 20 「…………夏目、ごめん」 夏目の目を真っすぐ見つめ、恐る恐る彼の手に触れた。固く握りしめられて血が止まっているせいか、夏目の手は冷たかった。 「全部話すよ。ちゃんと、夏目の声を聞く」 夏目の表情は未だ堅いままだが、肩の力が徐々に抜けて行くのが分かった。そして私を掴んでいた手を離し、そのままゆっくりと私の身体を抱きしめた。 (暑……) 涼しくなったとは言ってもまだ残暑がどーとか言われる季節だ。夏目と壁に挟まれながらどうするべきかと少し悩む。けれど引きはがすのもなんだか気が引けて、結局そのまま話し始めることにした。 「私、勘違いしてたの。夏目が祓い屋とグルになって何か企んでるって」 「っ……なんで……俺はそんなこと……」 「ごめんね。……情けないことに、うわさ話を鵜呑みにしてしまって。それで、友人帳を持っているのに祓い屋と一緒に何を企んでるんだ……って。……許せなくて。その上にゃんこ先生の怪我は妖の封印を解くために夏目がわざと付けたんだと……」 「そんなことする訳ないだろ!」 「……ごめん、そうだよね。……名取に、全部聞いたよ」 「え……名取さんに……会ったのか?」 名取と出会った事やその時聞いた話を夏目に話すと、夏目はホッと胸を撫で下ろしたように息をついて微笑んだ。 「なんだ……全部ただのすれ違いじゃないか」 「うん……本当にごめん」 「……俺が、お前を祓うとでも思ったのか?」 夏目はどこか悲しそうな目で、少しだけ眉根を寄せて優しく微笑んだ。あろうことか私の頬に手まで添えて。 「…………ん?」 え、あれ、ちょっと待って、大事な事を忘れてた。 (そうだよ……! 名取が勘違いしてたんだから、夏目だって当然……!) 「けれど、良かった。お前がこのまま俺の前から消えてしまうんじゃないかと思っていたから。ありがとう。戻って来てくれて」 夏目は再び私を抱きしめた。 (やばい! これは! やばい!) 「あれ、だけど、どうしてここの制服なんか着て……」 「夏目! ストップ!」 「(名前)?」 夏目の言葉を遮り頭をフル回転させる。 (何て言えばいいんだこんな時、なんかいい言い回しとか……っ早くなんか言え頑張れ私ー! 夏目めっちゃ不思議そうな顔してるー! えっと、なんか、いい感じに遠回しの! 夏目が恥かかないような! ダメだ分からん! もうこのままズルズル行くより潔く言ってしまったほうがいいのかー?!) 「私人間なの!」 夏目はそのまま一瞬固まり、目を点にして一言呟いた。 「……は?」 分かっていた。その反応。こうなることは分かっていた。 気付くと私の顔は90度横に向いてしまっていた。たぶん目は泳いでいる。 「…………は?」 ああ、やばい、めっちゃ困惑してるじゃん。そりゃそうだろどうしようこの状況。夏目の視線が痛いんだけど。 「…………ごめん」 謝るしかない。これはもう、全部謝るしかないわ。 未だ何も言わない夏目が恐ろしいが、ゆっくりと目だけを動かし夏目の顔を伺う。 目がバチリ、と合った瞬間、途端にボボボッと聞こえそうなくらいの勢いで夏目の顔が一気に赤くなった。その上慌てた様子で私を突き放し、手の甲で顔を隠し目を泳がせ始めた。 「ににん人間……って……え、人間……って、事か?」 ああ夏目、動揺が凄い。 「ごめん、夏目……。だけど騙してるつもりはなかったんだよ」 「なんで……どういうことだ……」 「私も、夏目が私を妖だと思ってるとは今の今まで気付かなかったんだよ。……だけどお面してるんだから当然勘違いしちゃうよね。妖に顔を覚えられない為に、なんだけど……私の中では当たり前の行動になってたから、気が回らなかった。名取だって勘違いしてたんだから、そりゃそうだよね……本当にごめん……」 たぶん、斑も勘違いしているのだろう。私の羽織っているものは妖のものだし、意識を集中させなければ気付けなくても無理はない。 夏目は力が抜けたようにその場に膝をついてしまった。 「……ごめん、夏目……」 夏目と同じ高さの目線になるように、私も膝をつく。夏目は右手で顔を隠して俯いたまま。耳まで真っ赤になっていた。 「ごめん……俺……妖と思って……(名前)になんか色々……」 「いや、これは本当に私の不注意だった。もっと気を払うべきだったのに……。本当にごめん」 夏目には本当に申し訳ないことをした。妖に気を許すなんて、下手をすれば命に関わる事なのだ。きっと夏目は私のせいで妖へのイメージが覆りつつあっただろう。もちろん、妖との関わり方は人それぞれ。だけど、妖と築く友好関係の弁え方のようなものは、妖との関わりの中で自分自身で見極めるべきだと私は思う。だから“私”との関わりによって夏目の価値観を歪めることがあってはいけない。私が、夏目の心に隙を作っちゃいけない。 それを思えば本当に、今日まで夏目が無事でいてくれて良かった。 未だ顔を上げないゆでダコのような夏目を見つめながら、私は自分の口元を手で覆った。 「……(名前)。何ニヤニヤしてる」 「え」 指の隙間から夏目の鋭い目が覗く。 口元を隠してみたが雰囲気でバレたらしい。 「いや……ごめ、なんかスゲー赤いなと思って……」 そう言うと、夏目は真っ赤な顔のままこちらをキッ!と睨んできた。しかしその顔には先ほどのような凄みはなくて、思わず吹き出してしまった。 「……(名前)……」 「あ、いや違う、これは……」 「まだニヤついてる」 真っ赤な顔で、潤んだ瞳で悔しそうに、めげずに睨みつけてくる。 夏目が怒っているのは分かるがどうしても口元が言う事を聞かない。 「お前謝る気あるのか?」 「あの、あるんだけど、夏目ってそんなに照れたりするんだと思ったら……」 「……もういい」 「あ、ちょっ! 夏目!」 「いやホントすみません」 「うるさい」 あれからずっと、私に背中を向けて体育座りでうずくまったままの夏目。正面に回ろうとすればズリズリと回転して私に背を向ける。 (し、しまった……) 謝るつもりが笑ってしまうなんて。 私はその背中に何度も謝罪の言葉を並べたが、夏目は一向にこちらを向いてくれない。もうこれは最終奥義を出すしか無いだろう。 「この通り! 本当にごめん!!」 私は地面に手をついて深々と頭を下げた。そう。土下座だ。 数秒間沈黙が続いたあと、夏目の溜め息が聞こえて恐る恐る顔を上げる。すると夏目は肩越しにこちらを振り向いていた。 「……許す、けど、条件がある」 「は、い。なんなりと……」 よし夏目!何が欲しい!言ってみろ!金か!?金なのか!? 「……水族館」 あ、すっご、規模でか。 「一緒に行ってくれたら……許す」 「……は、え、水族館?」 「……。……だめならいい」 「ちょちょちょちょ! 何言ってんの! 行くよ普通に! 今からでも行くよ!」 私の戸惑いを嫌がっていると捉えたのか、またフイッとそっぽを向く夏目の肩をガシリと掴む。 「ちょっと驚いただけ! いきなりだったからさ! なんで急に水族館なのかなって!」 「……前、塔子さんが、滋さんと水族館に行った時の事話してくれたんだ。……俺も(名前)と行けたらなって思ったけど、(名前)は妖で……そんなところじゃ会話もできないし、一緒に行ける訳ないって、思ってたから……」 なるほど。人間だと分かったからにはこの際その望みを叶えてみようと。そんな風に思ってくれてたなんて、なんか本当に友達っぽくていいな。 「そっか。わかった、行こう。私も夏目と行ってみたい」 「……本当に?」 「うん」 夏目の目をしっかり見て、力強く頷いた。 「……なら、……明日」 「分かった。……祠以外の場所で夏目と会う約束なんて、変な感じ」 「……そうだな」 いつもの、そして懐かしいその笑顔に、気付けば私の頬も自然と緩んでいた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |