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「そりゃあ、オッチャンのセリフだよ! 油断させるつもりだって? ミスターに油断もへったくれもねぇよ! 町の大人達の顔見ただろう? アレが油断してる顔か?! ミスターのことを“狂人”とまで言ってるんだぜ?!」
「……」
「ダアァァアアーハッハッハ!!」

 主人は一際激しく身をよじって笑った。
 うるさくて皿が割れるかと思った。

「に、兄ィちゃん。ヒーッ、ヒーッ! ブハッ! 兄ちゃん!」
「笑うか喋るかにしてください」
「兄ちゃん、おめぇ、見かけによらず……」
「見かけによらず?」
「いや。なんもねぇ」

 菓子屋の主人は目に浮かぶ涙を拭いて、姿勢を戻した。

「オッチャンはバカだからなぁー。兄ちゃんみてぇに、ちったぁ頭を使って考えればいいんだけんど、《ユメ》を口に入れた瞬間、疑う気持ちなんかどっかに吹っ飛んじまったんだよ!」

 主人はまた笑い出した。
 私は呆れてものも言えない。
 彼はひとしきり笑うと、ビンの中からスプーン一掬いの《ユメ》を差し出した。

「一口、食ってみろ」

 主人の自信と信頼に溢れた表情が、不思議と私の警戒心をほどいてしまう。

――これがこの人の持ち味なのだろう。

 私はスプーンを受け取った。
 少し曇りの入ったスプーンに、液体のルビーが乗っている。スプーンを傾ければ、とろりと確かに蜜の質感をもって揺れた。
 暫く眺めた後、ゆっくりと口へ運んだ。
 その味は、


「――言葉で縛るのは、まァだ早い」


 囁く声に、心臓が止まった。
 振り向いてはいけない。いや、振り向けなかった。彼と私の間に距離などなかった。彼は今、私の“耳元で”囁いたのだ。
 いつの間に? いや、いつから居たんだ?
 見えてもいないのに、彼が唇を釣り上げるのが分かった。

「おいおいミスター、そりゃ恋人の距離だぜ?」

 主人の面白がる声。
 私は戦慄した。
 何故だ? 何故、主人は驚かない? 音も無く忍び込んだこの人物に!

「丁ォ度いいじゃないか」

 耳元に風が流れる。

「よォく見て……? 焼き付けておくれ。ミスターの姿を」

 キミの印象が、記録の始まりなのだから。

「ねェ……記人(しるすひと)よ」

 わずかに軋む首をひねる。

(言葉で縛る……? 馬鹿馬鹿しい)

 言葉にした途端、陳腐なものに成り下がってしまう類のものだと、直ぐに解った。

――『花、と、蝶』

 定かでないのは、それが口の中で溶けたものだったのか、目の前の人物の印象だったのか、ということである。
 それこそが《ユメ》の味であり、ミスターの記録の始まりだった。



(ハルト・カシュカシュ『レェルを辿る旅』より)



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