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 主人は、これ見よがしに棚から一つのビンを取り出した。
 手渡されたそれは……なんと、黄色でもなければ褐色でもない。ピジョン・ブラッドの(最上質の)ルビーを融かしてさらに濾過したような、濃厚かつ透き通った紅色だった。

「これが……蝶の蜜?」
「そうだ。ミスターは《ユメ》と呼んでいる。“蜂蜜みたいな色”じゃなくて驚いたろう? オッチャンも思わず『色水を買うつもりはねぇぞ!』って言っちまったよ!」
「なるほど。綺麗な色をしている」
「それはな。全部が全部そんな色をしているわけじゃない。ケチャップとマヨネーズを混ぜたような色だとか、底なし沼みてぇなとんでもねぇ色もあるんだ!
 毎回品が入れ替わるから、実際どのくらいの種類の《ユメ》があるのかは、ミスター同様謎だ」

 私はビンを返した。

「……しかし主人。蜂蜜と《ユメ》とでこんなにも色の違いが出るのはおかしくないか?
 第一、蜂蜜が取れるのは、蜂が巣を作って蜜を溜め込むからだろう? 蝶は巣を作らないじゃないか。それは本当に蝶の蜜なのか?」

 主人は目を丸くした。

「おいおい、兄ちゃん! あんたは記人(しるすひと)だろう? 無いと決め付けて掛かるなんてことしちゃあ」
「私は今、蝶の蜜の有無を問題提起しているのではありません」

 この世界にはいくらでも不思議が溢れている。例え、虹色に移り変わる蝶の蜜が存在したとしても、私は疑問に思わないだろう。新しい不思議を発見した、ただそれだけだ。
 今、私が問題にしているのはその不思議の存在の有無ではなく、ミスターがその不思議を発見し、尚且つ独占している、という点だ。
 記人でもない素人が、その不思議を易々と独占しているなどありえない。

「ミスターが詐欺師だとは思わないんですか?」
「思わねぇ」

 主人は真顔で即答した。

「ミスターが嘘をつく理由が見つからん。金か? 名誉か? いんや、違う。そんな奴がこんな上等な珍品を、ガキの小遣いみてぇな値で売るわけがない」

 なるほど。
 子どもたちが走って行ったのは《ユメ》を買うためだったのか。

「それが怪しいと私は言っているのです。上等な珍品ならば、なぜ相応の値段を付けないのですか? 何か裏があると考えるのが普通でしょう?
 初めに油断させておく作戦かもしれませんよ?」
「……へ?」
「だから、油断させて――」
「ブゥワアッハッハッ!!」

 霧吹きの如く顔に掛ったのは、主人のつばだった。
 口蓋垂が笑っている。

「お、おい、眉間の皺が凄いぞ! 怒んなって!」
「……笑われるなんて心外です」
「心外?!」

 主人は腹を抱えて笑いだした。
 私の顔に掛ったつばなど、お構いなしだ。



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