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「ヒフミさん。ぼくの記憶は――」
「うん」

 ヒフミは笑みを模(かたど)った。

「いつか思い出せたらいいね」
「……ぁ」

 不思議と涙は出なかった。その一言にどれだけ深く傷付いたか、シュクルでさえ本当のところは分かっていなかった。シュクルはそれ以上何もしゃべらなかった。
 ただジャンの高い体温と甘い匂いにくるまって眠りたいと思った。

「――うぐっ」
「ロッソ?!」

 急に頭を抱えて膝をついたロッソにヒフミが駆け寄る。

「そんな……」
「触るな」

 ひどく狼狽するヒフミの手を払い除け、ロッソは脂汗を滲ませながらマナエンを見上げた。マナエンはロッソの顔を見て息を止める。彼の右目には、まるで苔が生すように緑色の細い筋がいくつも入っていた。

「ミスターが……!」

 ロッソはなおも執着した。

「もしミスターが全ての元凶だったとしたら!」

 マナエンは凛として答える。

「私は貴方がたに冷静さに欠けた意見など求めていません。ミスターが悪だと仰るなら、今度こそ信頼できる証拠を持って来て頂けることを期待しているわ」

 マナエンはシュクルの手を取った。シュクルはそのひんやりとした触感に身震いする。

「熱い……」
「え?」

 額に手を当てられる。思うより低い位置にあったラベンダーモーヴの瞳が、心配そうにこちらを見詰めていた。

「熱があるわ。――ベニア」

 ベニアが豹馬を引いてやって来る。

「急いでシュクルをジャンおじさまの家まで送ってあげて。必要なら医者を」
「でも三人は乗れないわ」
「ええ、私はここで待っています。先に彼を」
「嫌よ!!」
「お願いベニア。私を信じて」
「マナエンのことはいつだって信じてるわ。そいつらを信じてないだけよ」
「私は信じます」
「……分かった」

 ベニアはシュクルを豹馬に乗せると、彼を挟むように後ろへ乗った。
 そしてロッソとヒフミを睨み付ける。

「もしマナエンに指一本……いいえ、髪一本触れてみなさい。
 アンタたちを殺してやる」
「物騒なことを言わないで」

 マナエンの声が届く前にベニアは消えた。
 マナエンはロッソの元へと歩み寄る。

「それはただの病気じゃない。この街の医者では診れないし、貴方も動かない方が良いわ。
 使いを。ここから馬で北へ半日ほど走ったところに良い薬師がいます。彼女なら何か知っているかもしれません」
「分かった」

 ヒフミがすぐに部下に指示を出す。ロッソが自嘲の笑みを浮かべた。

「……余計なことを」
「情けならベニアを走らせているわ」

 マナエンはヒフミに言う。

「彼女が来るまで、できることはしてみましょう」



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