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「見ろ、ミスターのお出ましだ」
店の中に入れてもらって半刻も経たない頃だったか。
空腹で倒れそうになっていた私を助けてくれた菓子屋の主人が、ボウルの中の生地を混ぜながら、面白そうに顎で窓の外を指した。
見れば、先程まで遊びに夢中になっていたはずの子どもたちが、我先にと“それ”の方へ向かって走って行く。
その顔は嬉々として、零れそうなほどに輝いている。
しかし大人たちはそのような反応を見せなかった。
複雑そうに、冴えない表情をしてそこに留まっている者がほとんどだ。
「ミスター、とは?」
もう何枚目か分からない、試作品のトロワナッツクッキーを飲み込んで、主人に向き直した。
「ミスターはミスターさ!」
主人は「ガハハ!」と奥歯まで見せて笑った。
私をからかっているのだろうか? 眉根を寄せる。
「いや、悪りぃ! でも本当にそうとしか言いようがねぇんだ。
えっらい、奇妙なヤツでなぁ。一度会ったら忘れられねぇインパクトがある。出で立ちは派手だし、言動は酔っ払いか……まぁ、狂人だっていう人もいるな。素性も、どこに住んでいるのかすら分からない、なぞなぞの塊だ。
数ヶ月前から度々この町に現れるようになって、今では毎日のようにやって来る。蜜や蜜細工を売ってくれるんだ。その質の良さといったら!」
「蜜細工?」
「そう! 飴細工じゃなくて“蜜”細工」
なんでもそのミスターという人物は、水飴や砂糖ではなく、蜜で造形した花などを売っているらしい。それは菓子というより《食べられる芸術作品》と称するべきで、どのような劣悪な環境にあっても、腐りもしなければ風味すら変わらず、花脈の一筋までその形を保っているらしい。
唯一口の中に入れることで甘く融けてゆくのだと。
本当にそんなことが可能なのだろうか。
「出来るんだよなぁ……ミスターなら。何かしらのカラクリはあるんだろうが、それが何なのかは分かんねぇ。例え分かったとしても、オッチャンみたいな一般人にはマネできないだろうよ。
造形の方法はもちろんだが、肝心な蜜の採り方が分かんねぇ」
「蜜の採り方?」
「そうだ。蜜は蜜でも、あれは蜂蜜じゃねぇ」
私はおかわりのクッキーに伸ばした手を止めた。
「聞いて驚け。ミスターはな、“蝶の”蜜を売ってるんだ!」
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