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「……行っちゃった」

 ジャンがいなくなった部屋はすごく静かで寂しさを引き寄せる。けれどさっきみたいに、見えない気持ちに首を絞められて、ひとりでパニックになって、泣くなんてことはなかった。
 漠然と、強く、思っていたことは――

「思い出さないと」

 ただそれだけだった。
 まるで渇いた喉が水を求めるように、自然で強い欲求だった。
 何を思い出したいのかすら分からないままベッドから降り、裸足で立ち上がる。足首、足の甲、足の指がちゃんとあった。意識をもって動かすことができる。

 夢の中では足なんて見えていない。クッキーの香ばしい甘さに浸っているときだってそうだ。
 ぼくは確かに現実に生きていた。

「そうだ記憶。思い出すことが、唯一ぼくを救ってくれる」

 鏡に映るのは、ゆるく波打ったクリーム色の髪。情けなく下がった眉に、自信なさそうなカラメル色の目。涙の跡。笑顔を象れない唇。青ざめた顔。その頬に触れる。

「これはシュクル。ぼくだ」

 見慣れた容姿は一つの証明だった。
 思うより酷い顔をしていたのに、お腹が温かくなるような安心感がある。

(大丈夫。きっと思い出せるから)

 自身に言い聞かせながら、裸足で踏み出した。




 この家は三階建てだとジャンが言っていた。今いる三階と二階はプライベートルームで、一階が仕事場なのだと。
 とりあえず仕事場を――というよりお菓子を――見たくて、一階まで下りる。

 ヒョオ と微かに風の音が聞こえた。
 階段を下りたすぐ横にある裏口の扉が、風で開いていた。
 ジャンは鍵を掛けていなかったのだ。
 一刻も早く記憶を取り戻したいのなら、答えは決まっている。
 靴はない。裸足のまま外に出た。

 そこは白壁の家に挟まれた薄暗い路地だった。ぼくなら二人くらい通れそうだけど、ジャンなら彼一人がやっと通れるくらいだろう。
 左は行き止まりになっていて大きな甕(カメ)が一つ置いてある。蓋を開けても記憶は入ってなさそうだったので、光が差し込む右側の方へと歩いて行った。
 人の気配がする。



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あきゅろす。
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