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中編
05
 



「───強く願ったら康之さんに触れるようになるかもしれないじゃん…」
「トオル、それこの間やってた映画の設定だろ」
「設定とか言わないでよう、夢が壊れるー…」



 泣き真似をする男に溜め息ひとつ、康之は体勢を直してマグカップを取った。冷めた珈琲は口に含むと酸味が強く感じる。


 ───男には名前が無かった。元々無いのではなく、覚えていないようだった。
 康之にとって無くても特に差し支えはないし名前を付けたら変に愛着が湧きそうだったので、出会ったばかりの頃は男を「お前」か「変態」と呼んでいたが、彼は何故か愛称を欲しがった。

 当時は突っ撥ねていたのだが、男はしつこかった。物が落ちたりカーテンが揺れたりトイレや風呂を覗きに来たりするものだから流石に折れて、透けてるからという安易な理由で男を「透」と呼ぶようになった。
 文句を言うかと思ったのに、トオルは透けた体を踊らせながらあまりにも嬉しそうにその名を反復するから、康之は肩透かしを食らったのを覚えている。決して駄洒落ではない。


 愛称を付けて呼ぶようになってから康之は結局トオルに対して愛着が沸いたらしく、この部屋から出られず話し相手も居なかった孤独な時間を埋めるように構ってしまっている。
 しかしずっと欲しがっていた名前があれば変態行動は止めると思っていたのだが、トイレは止めたが風呂覗きは止めてくれない。今日も気が付くと浴室にいて、当たらないと分かっていても反射的に桶を投げては壁にぶつかって軽い衝撃音を響かせていた。



 拗ねたのか膝を抱えたトオルを観察しながら康之はマグカップを傾け、テレビの賑やかな音を聞き流す。
 興味が無くて点けていなかったテレビは、出会って暫く経ってからトオルの暇潰しになるかと思って居る間は寝るまでずっと点けるようになった。
 それに、自分やその周囲ついて覚えていないらしい彼の記憶を呼び戻すヒントか何か見つかれば、という他意もある。
 10年という付き合いの中で康之はトオルの記憶を引っ張り出そうと何度か試みてはみたものの、この部屋から出られない以上ヒントは限られてしまって、その殆どは失敗に終わった。

 その中で分かった事と言えば、テレビで流れる年代範囲が康之と同じだということ。
 ドラマ、映画やアニメの再放送、バンドやアーティスト、流行りの芸能人。それらの最も流行っていた年代が重なっていたのである。
 トオルは生きていれば康之と近い年である、という僅かな情報は貴重だったが、トオルの過去や彼の身近な人物や地域に関係する情報は無いに等しい。

 それでも現状テレビは流していて、トオルは気分でチャネルを勝手に変えている。リモコン無しでも出来るのは中々に未来的である。



「康之さんはさー、ドライだよね」



 拗ねるのに飽きたのかトオルはテレビに目を向けながら言う。それに対して康之は否定しなかった。
 過去に交際経験のある相手からフラれる理由で最も多い、というかそれしか無いくらいに康之には冷めている自覚がある。
 感情的になったりするし喜怒哀楽はちゃんと表に出てくるが、切り替えが早すぎるのだ。
 物事を深く考えすぎないとか、引き摺らないとか、精神的に重くなる事が殆どない。単純に性格的な面で熱々な恋愛に向かない事も一理ある。



 


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