中編
3
朝、教室に入ると、文也が慌てたように駆け寄ってきた。不安をいっぱいに張り付けて。
「朔…っ、昨日どこにいた?」
「なにか用でもあったか」
「いや、たいした用じゃないんだけど…。部屋に行っても返事なくて」
「そうか、悪かった」
「いいんだ、大丈夫なら…」
「?、大丈夫だが」
何をそんなに焦っているのだろう。
いや、学校に行っている時以外は部屋から出ないから仕方ないといえば仕方ないのか。
昨日は槙野のところに居たが、連絡はなにも……。
「あ、」
「…朔?」
「いや、」
なんでもない、と首をふり席に座る。
文也は不思議そうな顔になっていた。相変わらず豊かな表情だ。
今ではもう、普段あまり使わなくなった携帯だが、制服のポケットにいつも入れていたそれが今日はなかった。
スラックスにも鞄にも見当たらない。
いつから無かったのか。
あの一年に連行された場所に落としたか、槙野の部屋にあるのか。
まあ、いいか。あの携帯が無くなっても誰かからの連絡など無いに等しい。
ぼんやりと窓の外を眺める。
教師の声を聞き流しながら、出かけにした槙野との会話を思い出す。
『お前、戻ってくんの?』
『どっちのがいい』
『俺に聞くな。戻ってくんならメシくらい用意しとく』
『あんた、学校は』
『ねみーから寝る』
『そう。じゃあ、戻ってくる』
『おー。チャイム二回鳴らせ』
『わかった。行ってくる』
『……おう、行ってこい』
───、我ながら、今思うと変な会話だった。けれどヤツなら悪くないと思った。
今まで関わりなどなかったのに人の縁とは不思議なものだ。
槙野新。変な不良。
死人みたいになっていた俺を生人みたいにする。関心、興味、欲。
そんな昔でもなく、去年のことなのに俺はまた昔のように戻ろうというのか。
去年のことを深く考えることはなくなった。
ただ、何のために居るのか、何のために動くのか。
その答えに辿り着けるようなヒントを槙野と関わることで見つけようとしているのだろうか、俺は。
「さく…?」
「…なんだ」
我にかえると文也がこちらに体を向けていて、授業が終わっていた事を知った。
文也は目を見開いてこっちをただ驚いたように見ている。
「朔、いま、笑って…」
見開かれた目は綺麗な色をしている。
笑ったつもりはなかったが、文也にはそう見えたのだろう。
笑うと言うこと。
最後はいつだっただろうか。
「そんなに驚くことか」
「いや、だって、朔…」
「文也」
「……ごめん、そうだよな。もう関係ないよな」
あのことは、もう終わった。
関係ないのだから笑うということに何も驚くことはない。
しばらく笑えることがなかっただけで。
他人が持っている俺のイメージと、俺自身はズレているものだ。
“生徒会長"であった時でさえも。
「朔、今日の夕飯、一緒に行かない?」
文也は、いつもの聖母と言われる笑顔で言った。
今までよく共にしていたのだから不自然ではない。けれど俺には先約がある。
「今日は行くところがある」
「え、」
「悪いな、また今度」
「……うん」
どこへ行くのか、という疑問が顔に出ている。文也は分かりやすい。
だが、言う必要はない。隠すことでもないが。親しくてもそれは変わらない。
今までも、これからも。
気になって仕方ないが、聞くことはしない。
互いに干渉しない間柄だったのもあるけれど、必要でない限り詳しく話すことを俺がしなかったからだ。
そして、聞かない、という事が、話さないということに繋がる。
放課後、文也が見つめる視線を背中に受けながら、いつものように教室から出た。
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