中編 2 「───さっきの、撤回」 「…なにが」 じっと煙草を見ていると、奴が言った。独り言のようなそれだったが、視線を上げると目があう。 「死人とか言ったやつ」 「ああ…」 それか。 別に間違いではないから否定はしなかったし、撤回しなくてもいいのだが。 死人のよう、生気がない。きっと誰もが思っていること。 奴はまた、小さく笑う。 「お前、ちゃんと人間臭かった」 「……」 ちゃんと人間臭かった、というのは些かおかしな表現だが、どこで思い直したのだろうか。 澄んだ瞳を見つめる。 奴は目をそらさない。 「コレに噎せたり、しかめ面したり興味持って見てたり、変だけど死人じゃなく人間だな。お前」 しかめ面を、していたのだろうか。 自分の表情は見えないから、奴が言うならそうだったのだろう。 というか、奴には変と言われたくない。大概こいつも変なやつではあるのだ。本人は自由に好き勝手しているだけなのかもしれないが。 槙野新は、俺と同学年だ。 つまり一年前のアレを知っている。すべてでなくても、そういうことが起きたということは知っているだろう。 高等部内だけで処理されたため、持ち上がりでも今の一年生以外は、みな知っていることだ。それほど大きく衝撃的だったのだろう。 けれど奴は、その事には触れない。 関心がないだけなのだろう。俺も今となっては他人事のように思う。 誰も寄り付かない裏の古い階段。 昼休みの間だけ、俺は奴と会い、奴が吸う煙草を見て、そして時々会話する。 俺は休憩のために。 奴も休憩のために。 2週間ほど繰り返されたその出会いは、ただの昼休みを少しだけ心地好いと思えるものに変えていた。 そして今日も、俺はまた槙野と出会う。 「お前、飯食ってんの?」 「たまに」 「たまにで食うもんじゃねぇけどな」 「食べたいと思わない」 「ガリガリ。折れそうだな」 「いつか折れるかもな」 「どうだかな」 折れそう、とか言っておいてその返事はどうかと思う。 投げやりなそれを、けれど不快に思うことはない。 案外強く出来ている人間の体は順応性が高いから、最低限口にすれば日常に支障はない。 あの頃のように忙しいわけでもないのだから、必要ない。 短くなった煙草を携帯灰皿に落とすと、槙野は柵に寄り掛かって目を閉じた。 ポイ捨てしない不良。やはり不良の定義というのは、分からない。槙野だけが気にしているだけなのかもしれないが。 俺はそれを見て、また空に目を向ける。 静かな時間。穏やかな流れ。 あの煩わしさが、嘘のような日常。 槙野といる時間は、いつのまにかその日常に組み込まれていて。 互いにどう思っているわけでもないのに、それが当たり前になっていく。 「……また、」 空気のように出た声は、そのまま消えていった。 なぜ声が出たのか分からなかったが、べつに深く考えたりはしない。 また、あの頃より前の、記憶の中にある笑顔たちが戻ることなどないのに。 また、何かを失うという恐怖が、俺の中に張り付いて消えないままそこにいた。 じわりじわりと、迫ってくるように、ただひたすら、何も追求しなかった。 たぶん、したくないのだろう。 俺はいつの間にか、自分のことすらも、他人事のように考えている。 [*←][→#] [戻る] |