中編
◆弾けたのは、なんだろう。
───頭の中が真っ白だ。
何かを考えていたのに中身がさっと流されて、何も思い出せない。ぐちゃぐちゃでもなく、ぐるぐるでもなく、まっさらな空間。
力が抜けて落ちた手は流れる動作で倉科さんに捕まり、撫でられ、絡まっていくそれに僅かながらでも力が入る。
男らしい手は温かい。でも、研ぎ澄まされた指先の感覚から彼の手の小さな震えを知った。
そして一番驚愕したのは、最後の言葉だった。
『───…中学の時から須藤のこと気になってた』
何も浮かばなかった頭の中に、するりと現れた言葉。
それまでの緊張も切ない動機も、一瞬にして色々な感情がない交ぜの動揺に変わった。
嘘だ、と思った。
そんなことはあり得ないと。
あの三年間の俺の確かな片想いと、いつからかは分からないけれど意識を持っていたらしい彼。
気になってた、というだけでは同じ種類ではない。
もしかしたら気付かれていたのかもしれない。無意識に熱の籠った目をしていたのかもしれない。
はっきりとまではいかなくても、もしかしたら、と考えたりしたのかもしれない。
その時抱いた感情を忘れていて、ねじ曲がって恋と錯覚してしまったのかもしれないじゃないか。
同性に恋をするなんておかしい、という「世間の常識」に怯えてきた俺は、それを真っ直ぐに受け入れられるほど純粋ではないから。
だから、やめてほしい。
そんな熱の籠った目で見ないでほしい。
包み込むように触れないでほしい。
期待をしてしまう。してしまったんだ。
俺は、浅はかだ。
考えれば考えるほど、不安が渦を巻いていく。
気付かれていた?あの時、気付かれていて、心のなかで不愉快な思いを募らせていた?だから、それを試すために、過去を確認するために、再会した時「変わらないな」って言った?
違う。違う。彼はそんな───下らない遊びをするような人じゃない。
ほんとうに?
真実は、どこにある?
「…須藤。……須藤正樹」
「ごめ…っ、なんで、なんで今なんですか…っ」
「え?」
溢れてくる。
溢れてくる。
違う。
「あなたは、こっち側に来ちゃいけない、来させてはいけないって、普通の人だから駄目だって思って、ずっと、忘れようとしてたのに…っ」
「……須藤?」
こんなことを言いたいんじゃない。
責める権利も理由もないのに、止められない。
「あなたと再会した日は、夢を、見ました。昔の夢、中学の卒業式の、嫌になるくらい鮮明なものだった。……今まで何とか忘れていて、でもあなたに会ったら、仕事で何度も顔をあわせていくうちに、どんどん戻ってきて、それで、…っ隠さないと駄目だって分かってたのに、声を聞くたびに、姿を見るたびに、意識が持っていかれる」
自分でも何を言っているのか分からなくなって泣きたくなる。
絡まる手が、力を増していく。潰さんばかりに強まるそれに、いつの間にか俯いていた顔が上がる。
それを見た瞬間、確かに俺はその真っ直ぐな目に浮かぶ赤い火を見て、息を飲んだ。
「俺の勘違いかもしれないけど、ちゃんと教えてくれ。須藤が俺に何を思ってるのか知りたい」
逃げられないと思った。
逃げたいとは思わなかった。
手遅れだった。発した言葉が今になって波のように押し寄せてくる。
もう溜め込まなくていいから、と彼は穏やかに笑った。
「……好きでした。中学の三年間、俺はあなたがずっと好きでした。…っでも、あの時とは違う深さで、あなたが好きです」
それを言いきった時、自分が泣いていることに気付いた。
じっとこちらを見つめたまま彼は何も言わず、けれど手は離さずに、しばらく沈黙が続いた。
ゆっくりと目を伏せた倉科さんは同時に口を開く。
「……今、凄く場所をかえたい」
「……はい?」
しかし放たれたのは、よく分からない彼の希望だった。
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