中編
◆けれど壁とはいつか壊れるもので。
───嫉妬したんだ。
頭の中から、低く掠れた声と強い眼差しが、渦巻く熱が消えない。
あれはなんだったんだろう。
彼は───倉科幸宏という想い人は、何を思ってあんな、あんな…。
「───き、……正樹」
「え、なに?」
「なにじゃねえよ、どうした?」
「……」
見知った声に顔を上げると、啓介が不思議そうな顔をしていた。
一瞬疑問が満たしたけれど周りを見るとさっきとは違う賑わいがある。
そこでやっと思い出す。
あれからトイレの個室でひとり固まっていた時に啓介から電話がきて、急いで戻って高校の同窓会会場へ来たのだ。
戻った時に周りを見たけれど、倉科幸宏は居なかった。
ちょっと飲みすぎたかな、と笑って誤魔化したけれど、啓介は目を細めただけで、どうやら信じてはいないらしい。
そりゃあそうか、と自答する。
あの時トイレから戻って啓介と顔を合わせた瞬間、顔が赤いだの色気がどうのと突っ込んできたのだ。
そこでも酒に酔ったのだと言い訳したけれど、苦しい言い訳だなと思った。だって俺は酒をいくら飲んでも顔には出ないし、自分でも驚くほど酒に強かった。
それをよく知る啓介が、同窓会の席で、それも大した度数のないアルコールを短時間飲んだだけで俺が酔っ払うとは到底思わないのだ。
「……ごめん、ここでは話せない」
「日を改めるか?」
「啓介が大丈夫ならいつでも」
「じゃあこの後お前ん家な、明日休みだし、近いし」
「はいはい」
納得したらしい啓介は俺の肩を軽く叩くと、座敷個室の宴会場を動き回りに行ってしまった。
それを見送りながらも、頭の中は先ほどの奇妙な出来事に埋め尽くされていく。
あんなに間近で見たことなど、息遣いが、息そのものを感じる距離に立つ事など、かなり親しい友人か恋人同士ではない限り経験することはない。
しかもその相手が長年想い焦がれている人物からの、半ば強引に造り出された状況だなんて。
喜ぶべきなのか、吃驚するべきなのか、行動を咎めるべきなのか。様々な感情が渦巻いて混ざりあい、何がなんだかはっきりしない。
しかも、去り際のあの行動。
優しく髪を梳き、頬に添えられた手。まるで焼き付けるかのような、何かを訴えるかのような強い眼差し。
引き止めたくなって手が上がりかけたけれど、実行はされなかった。
あの時、着信がなかったら───?
「……っ」
視界いっぱいに倉科幸宏の端正な顔が広がり、その目が真っ直ぐ射抜くようにこっちを見つめ、息が混ざるほど近づいたあの時、あの瞬間の映像が鮮明に蘇ってしまい、顔に熱が集まってきてしまった。
薄暗い部屋ではあるが、顔色などすぐに分かってしまう。
───嫉妬したんだ。
俯いていて見えなかったあの時、彼はどんな顔でそう言ったのだろう。
そして彼は何に嫉妬したのだろう。
あの熱が籠った目から反らすことが出来ずに、身動きすら取れなかった俺は、その言葉の意味を理解し切れずにいた。
冷静かどうかは分からないけれど、時間が経って考えてみると、とんでもない状況だった。
あまりにも急すぎる。
酔っていたのかと考えるのは当然。
だけど、あの目は、声は、熱は、手は、勘違いしてしまうほど、真っ直ぐだったから。
淡い期待を抱いてしまうほど、俺は彼を求めているのだと知った。
それから高校の同窓会から引き上げて、啓介と共に家に帰り互いに風呂を済ませてリラックスした状態になると、俺は未だに理解出来ず混乱したままだったが倉科幸宏との出来事を話した。
啓介は口が恐ろしく堅いから安心出来たし、話すことで整理できるような気がしたけれど、ふざけていたのではという不安も同時に現れた。
啓介は真面目な顔で聞いてくれて、そればかりは相手方の様子を見るしかないと応えた。
だよね、と言うしかなかったけれど。
ただ、話している途中で一度啓介がニヤリとしたことだけは、納得出来ない。
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