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中編
28
 



 目覚めてからひと月もしないうちに吉野は喋れるようになった。食事は胃に負荷が掛からないよう固形は無いが、それでも時間を掛けて食べることは出来る。

 二ヶ月目になると手足のリハビリも順調で、毎日看護婦の手を借りながら専用のスペースまで車イスを押してもらい、そこで歩いたり手で細かい動きや重さの違う物を持ったりと、三十分から一時間を休憩しながら繰り返し時間も伸ばしていった。


 医師からの詳しい話を聞いたのは、ひと月経った頃だった。

 十二年前、吉野は町の近くでバイクを走らせていた際に危険運転の車に巻き込まれて事故に遭い、意識不明の重体で病院に運ばれてきた。
 手足や内臓の損傷が激しく、助からないと思われていたが救命処置の手術で彼は一命を取り留めた。しかしそれ以降はずっと目覚める事はなく、今に至るという。
 事故後しばらくは両親が見舞いに来ていたが、目覚めない吉野の容態が急変する事を危惧して病院を移る事はせず、月に一度訪れていたようだが五年前に両親が他界したという連絡が入った。
 病院側と連絡を取れるようにと現在は両親の兄弟が連絡先になってはいるが、見舞いに訪れたことはないという。

 面会謝絶は彼が目を覚まさない間の話で、もし目覚める事があれば後は本人の意思に任せる、という話をその兄弟から聞いていると医師は言った。

 吉野が目覚めてすぐに連絡をした医師は、その兄弟から事故以前に住んでいたアパートを解約して彼の重要そうな荷物だけは段ボール一箱分で預かっているから病院に送る、と一方的に言われた。
 入院費は両親の遺産から出している為に問題はないが、それ以外の関わりは無用であると兄弟側は彼に伝えるようにと医師に言った。


 その話を聞いた吉野はしかし、特に悲しみなどは感じなかった。覚えていない人の話だったのもあるが、それでも自分の荷物を預かってくれていたのだからと感謝すらしていた。

 個室の隅に送られた荷物が置いてあり、面会謝絶はどうするか、と問う医師に彼は会いに来る人なんて居ないからと面会を可能にした。



 だがその話をした数ヵ月後の冬初め、吉野に面会したいと言う人が現れた。


 病室に入ってきたのは若い男性だった。青年は久住晃と名乗り、背が高く目鼻立ちは外国人寄りで、綺麗に焼けた肌と分厚い上着にツナギの服を着て頭にタオルを巻いている。
 晃はベッドに座る吉野を見て、ふんと納得したように声を漏らし横にある椅子に座ってから言った。



「やっぱり、同じだ。あの時は十二年前のままだったから今は老けてんだな」
「……あの、あなたは、」
「そっか、覚えてないんだ」



 晃は彼を知っている風で、吉野は戸惑いながら口を開くと晃は人好きする笑みを見せてゆっくりと話を始めた。

 夏に訪れた男性に霊として憑いていた吉野は、十年前から男性と共に暮らしていた。彼はトオルと呼ばれ、男性の名前は寺田康之という。
 出会ってから町に訪れるまで見えたり会話したりは出来たが触れる事は出来ず、しかし康之が町に来た際にトオルも引き寄せられて、町の中では触れる事が出来たが人に触れている感覚は無かった。加えてトオルは意識を飛ばす事が多く、康之が帰宅してもトオルは家には戻れなかった。

 晃の話は簡単なものだった。
 けれど吉野は名前を聞いた瞬間に、それらの記憶を確かに思い出した。

 十二年前の孤独感と、十年前の歓喜、幸福、安心、願望。康之と共に過ごしていた十年間の思い出がはっきりと頭の中で流れている。



「名前、吉野透司(とうじ)っていうんだな。やっさんが呼んでたトオルってあだ名、結構近い所まで行ってたんだ」
「……嬉しかったんだ、その名前で呼ばれた時はいつも、よく分からないけど、凄く嬉しかった」
「そっか、」



 透司の頬に涙が流れた。
 眉を寄せ、苦しそうに膝を抱えて嗚咽する姿を晃はじっと見つめていた。



 

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あきゅろす。
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