中編
25
トオルは自分の意思で来たわけではないから、康之にはどうやって家に戻るのかも検討がつかない。ターミナルから先には行けない事は確かめてある。バスに乗ってもすり抜けてしまうだろう。
「とにかく、助かりました。本当にありがとう」
「いや、俺はいいけど……、時間が作れたらまた来なよ。面会出来るように話してみるから」
「……ありがとう」
何度と礼を言いながらも、いつ来られるかは分からないがすぐには無理だろうと康之は半ば諦めていた。少なくとも半年か一年は有休を使って旅行は難しい。何しろこれから大きな仕事が予定されている。
トオルが目覚めてからも帰り際まで晃は二人の様子を気にかけていた。
もし面会が可能になれば連絡をする、と晃は康之と連絡先を交換して心配そうながらも去っていった。
「……大丈夫か?」
「うん。家に帰ろ!」
快晴に似た笑顔のトオルを撫でた康之は、旅行鞄を手に宿を出た。
見送りをしてくれた宿の夫婦は、どちらも都会には馴染みのない柔らかさを持って康之を送り出し、夜行バスの中で食べられるようにと手作りの軽食を渡してくれた。
「暗いねー」
「……そうだな」
ターミナルまでの道は宿の周りよりは明るかったが、外灯の少なさ故にそれでも暗く見えづらい。
昼間に買っておいた土産が鞄の重さを増やし、肩にかけ直してゆっくりと歩いた。
───夜行バスは定刻通りにターミナルへ到着し、休憩を挟む為に運転手は外へ、康之は中へと入っていく。
トオルも一緒に乗り込んだが、走り出したらその身体だけは置いて行かれてしまうだろうと互いに分かっていて、走り出すまでは手を繋いだ。
「帰ったらまた触れなくなるのかな」
「どうだろうな、」
この状況が町の中でだけ起こる現象であれば、やはりトオルは町と関係していて、病院に居るらしい意識不明の人物に関しても可能性は上がる。
それが分かってもすぐには来られない。
握った手は冷気の塊だったが、握り返されていると分かると康之はトオルの頭を撫でる。
発車の合図でバスが動き出すと案の定トオルはひとりその場に留まる形になり、無慈悲な塊はトオルの目先で走り去っていく。
静かなターミナルに浮かぶトオルは、微かに感じた違和に周囲を見渡した。
「……早く会いたいな」
家から宿の部屋に移る時に感じた、引っ張られるような感覚だった。
先に戻れたらいつも通りに出迎えよう、と笑みを浮かべながら、トオルは目を閉じる。意識が飛ぶ時に目が閉じている状態は結局全部失敗していたけれど、なんだか今は成功する気がした。
意識だけが何かに引かれている。
仄かな明かりと暗闇の間で、トオルの透けた体は染みるように消えた。
*
最寄りのバスターミナルに着いたのは、朝の6時頃だった。町とは違い騒がしい音が耳に入り、常に人が歩いている。
バスを降りて体を伸ばし、康之は急ぎ足で帰路を進んだ。
町に居た時よりも夏の暑さが鋭く湿度が高い中で、家に着くまでに結構な汗が滲んでいた。
僅かな緊張を感じながら家の玄関扉の前に立ち、康之は一度目を閉じてから息を吐き出して鍵を開けた。
「───…、」
扉を開けた先で、閉じたカーテンから漏れた日差しで薄暗い静かな部屋だけが康之を出迎えた。
トオルがあの部屋に来たのもその日の夜だったのだから、帰って来るのは夜かもしれないと一瞬湧いた不安を振り払って部屋の中へと足を踏み入れた。
有休は今日までで、明日からは通常通りに仕事が待っている。
春に向けて夏から冬には毎年大きな仕事が入るため、再び休みを取るわけにはいかない。
荷物を下ろして土産や洗濯物などを整理して、少し埃っぽい部屋の掃除を始めた。
───しかし夜になってもトオルは家に戻らなかった。
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