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中編
17
 


 ふらふらとしながら向かってくるトオルに、康之はまた衝動的に突っ込んで来るんだろうなと普段通りの行動に冷静さを取り戻していた。
 そしてまたその体はすり抜けてしまう事も分かっていて、構えずに近付く透けた体を眺め───直後の衝撃で咄嗟に両手で物体を掴んだ。

 予想外の出来事に「えっ」と声を上げた康之の喫驚に、次いでトオルが閉じていた目を開く。目の前には肩があり、すり抜けずにトオルの腕は康之の背中に回っている。



「───…え、え!? なに、さわ…っ!」
「お、落ち着け!ちょっと待て、」



 慌てて顔を上げたトオルと康之の目が合い、互いに焦って居ながら何とか状況を理解しようと康之は自らにも言い聞かせるように言った。
 触れている事実にトオルは歓喜し、我を忘れたかのように声を上げた。



「触ってる! ねぇ康之さ、ん、」
「……」



 しかしその声は徐々に下がり、言葉は尻窄まりに小さくなっていく。
 二人は互いに目を合わせてはいたが笑顔はなく、その表情は哀愁と絶望が滲み出ていた。



「……康之さん、どんな、感じする?」



 囁くような、すがるようなトオルの言葉に康之は落ち着いた声で答えた。



「、冷気の塊に触ってる。 お前は?」
「……康之さん、の、形した、見えない壁と、同じ…っ」



 消えそうで泣きそうな声だった。
 互いに互いの背に回った手がその服を握るように力を込めた。
 触れているのにそこに人肌はなく、トオルからすれば温度も伝わらないそれが人の形をした見えない壁に抱きついているのと同じだった。












「……家から出られないのに、何でここに居るんだ?」
「わかんない。康之さんが行った後にぼーっとしてたらね、目眩みたいのがあって、気付いたらここにいた」



 敷いた布団の上で座る康之に後ろから抱き締められるように膝を抱えたトオルは、康之の問い掛けに家での違和感を思い出しながら答える。
 暫く硬直していた二人だったが漸く落ち着いて、夜の散歩にでも行こうかと思っていた康之はトオルが現れた事で話をする体勢を取ったわけだが、何故かトオルを抱き締める形になった。
 触れている事は確かなのに冷気の塊で、しかしそれがトオルだと分かっていると離れ難い。

 トオルは戸惑ったものの康之が引っ張り込むと大人しく胡座の上に座った。
 康之は自分の足に重みはない。けれど、その手に触れる存在が冷気でもトオルを目視出来る為に気にしていなかった。



「俺以外には触れないのか?」
「……みたいだね、すり抜けちゃうよ」



 トオルは端に寄せてある掛け布団に手を伸ばしたが、布団は沈む事無く静かなままだった。

 触れると言ってもトオルが感じ取るのは普段ぶつかる見えない壁と同じで、そこに康之の体温などはまるで無い。
 けれど、それでも自分の伸ばした手を康之は取る事が出来る事実はトオルにとって長年願い続けた望み。叶ったと言えるのかは分からなかったが、それでもこの体を抱き締めている腕は康之のものだ。

 眼前の大きな手に自らの手を合わせるように重ねたトオルは、指をなぞるように滑らせた。

 康之は広げた手に流れる冷気を感じながら、ふと浮かんだ疑問を口にした。



「……この部屋からは出られるのか?」



 背後からの問い掛けに、トオルが窓に目を向けて首を傾げる。
 突然知らない場所に来たことや康之に会えて更にその体に触れた事などで考えてすらいなかったトオルは、ふわりと体を浮かせて窓に近付く。
 後ろから康之がついてくるのを確かめ窓に向かって体を前に動かすと、トオルの体は見えない壁に遮られる事なく外へとすり抜けた。



 


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