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中編
16
 


 ───ふと目を開くと、トオルの視界には見慣れない部屋があった。
 窓から入る僅かな明かりで見えた薄暗い部屋は和室で、個人の部屋だとしたら質素で物がかなり少ない。



「……ここ、どこ、」



 吐き出された声はあまりに弱々しかった。眉が下がり今にも泣きそうな表情でトオルは室内を見渡し、浮いている自分の透けた体を確認してから再び室内に視線を戻す。
 部屋には誰も居なかった。
 車や電車、工事や他の生活音もなく静かで、自分しか居ない世界に隔離されたような錯覚すら抱く。
 それは康之が来る前の自分を思い出させた。
 誰にも気付かれず会話も出来ず、音や物が動けば恐れられ、お祓いをする人すら来たのに自分を見てもくれなかった。トオルはその時、検討違いの場所を睨むその人の後ろでぼんやりと様子を見ていた。
 寂しさが心を埋め尽くしていた。そんな時に康之が引っ越して来て、トオルの存在に気が付き会話も出来て平然と一緒に居てくれる。



「……康之さん…っ」



 会いたい。触れなくても良いから、こんな場所じゃなくて康之の帰ってくるあの家に帰りたい。
 目覚めた場所から動けずに心に広がる寂しさが、またトオルを飲み込もうとしていた時、部屋の扉が開いた。












 一日目は外に出る事無く部屋で過ごし、夕食を済ませてから康之は浴場へ行った。
 夕食は山の幸が多く、薄味であっさりしていたが素材の味が活きていて濃いものばかり入れていた胃袋には良い休息になりそうだった。加えて玄米の混ざったご飯を普段食べない康之にとって、想像していたより癖も固くもないそれは意外にも好きな味だった。

 一階にある浴場は大浴場と言えないものの小ぶりな露天風呂もあった。
 四人分のシャワーと浴槽、奥の扉の先に露天があり、灯籠の灯りに誘われて寄ってきた虫も居たが康之は特に気にせず露天に浸かった。
 19時でもまだ少し明るい夏の空は森の緑を辛うじて見せてくれる。

 夫人は一人で入るならと時間を教えてくれたが、幅広いその時間や他の客と合わない事で宿泊客は居ないのだろうかとは思ったけれど、康之が風呂に行く時に居間から若い声が聞こえたから自分以外にも客が居ると分かった。

 森の宿を教えてくれた社員も、自分が行った時は他に客が居なかったと話していて、有名ではない小さい宿にはやはり口コミくらいでしか遠方の客は訪れないのかもしれない。
 あまり人と会いたいとは思っていない康之からすれば、森の宿は最適な場所だった。
 やはりあの社員への土産は奮発しよう、と康之は考え、火照った体を風呂から上げシャワーを浴びてから脱衣所に出た。


 中々に良い風呂で朝から入りたくなる気持ちも湧いて、明日も一日あるなら昼間から入ろうと予定を立てる。
 タオルで髪の水分を雑に取りながら二階の部屋へと向かい、心地よい眠気を感じながら扉を開けて電気を点けた康之はしかし、室内を見て目を見開いた。



「───…なん、で」
「……康之さん…っ」



 電気で明るくなった室内に、10年見慣れた透ける体を浮かせたトオルが驚きを含んだ泣きそうな顔で康之を見ていた。
 思わず固まってしまった康之だったが、後ろ手で扉を閉める。

 どうしてトオルがここにいるんだ。あの家から出られないはずなのに。

 ふわりと体を揺らしたトオルが視界に入っているのに康之は状況が理解出来ずに立ったままで、トオルは自分に襲いかかった寂しさや恐怖、康之の存在に対する安心感で咄嗟にその体に突っ込んで行った。



 


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あきゅろす。
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