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中編
14
 


 ───康之が出て行って玄関が閉まった直後、トオルは振っていた手を止めて力なく垂らした。

 静まり返った室内で体を漂わせ、ついさっきまで康之が横になっていたベッドに浮き上がるとすり抜けないギリギリの位置で横たわる。
 春過ぎ辺りから康之の様子に違和感があった事をトオルは気付いていた。一見して変化はないように思えたし、春にも関わらず暑い日も多かったから暑さに弱い康之がバテているのかと気のせいにしていた。

 けれど康之は覚えていないようだったが、彼がふと夜中に起きた時トオルに手を伸ばして来る事が増え、手がすり抜けるのを見た康之はその事実を振り払うようにトオルに背を向けて二度寝する。

 その度にトオルは胸の奥が苦しく感じ、泣きたくなった。

 どうして触れないのだろう。
 どうして康之は触れようとするのだろう。自分が求めると現実を突き付けるのに、康之は寝惚けていると手を伸ばす。
 その手を取りたいと何度も思った。その手に触れて温度を感じて腕の中へ飛び込みたいと何度も考え、出来ない事を思い出しては絶望した。

 誰とも話せなかった数年、そして康之と出会って関わるようになって10年。トオルの存在を恐れたりしない康之に対して同性だとしても恋い焦がれてしまうのは仕方ない、とトオルは自分の想いを受け入れていた。
 触れないだけだ。会話も出来て目視出来るなら、それで良いじゃないか。ひとりは寂しかった。怖がられるのが悲しかった。今までの住民は皆トオルにとって騒音や不快感が殆どで、部屋から出られない苦痛から不安定になってばかりだった。

 けれど康之が来てから不快感なんて無く、見ているだけでも何故か落ち着けた。

 心地よい声をしている。優しそうな人なのに自分の意思を曲げずそれが不快じゃなくて、性格のせいで恋人にフラれて、それでも嫌だと言われたところを直す気配もない。たまに鼻唄が聞こえて、友人たちも賑やかなのに煩くなくてさっぱりしていて。
 康之の生活を見ている内にトオルには康之と会話をしてみたい、という欲が生まれた。

 見ているだけで良いと思っていたのに、いつの間にか会話したいと願い、それが叶うと今度は触れたくなった。
 わがままだろうか。
 贅沢だろうか。
 自分が触れたいと言い続けているから、康之も手を伸ばしたりしているのだろうか。さっき見送った時だって。

 トオルは体を丸めた。
 焦点の合わない目でトオルを見た康之が伸ばした手を無意識に取ろうとして、途中まで上がった手を見つめて溜め息を吐く。



「……触りたい」



 願えば叶う。そんな言葉をテレビで聞いた。確かに会話したいと願ったら目視までついてきて叶ったけれど。
 触れたいという願いはいつまで続けたら叶うのだろう。康之がこの部屋に居る間に、せめて一度だけでも。触れてしまえば更に恋しくなるのに、願わずにはいられなかった。


 点いていない液晶テレビにトオルは映らない。それをぼんやりと眺めていると、不意に視界が歪んだ気がしてトオルは体を起こした。

 一瞬だった。
 目眩のような歪みがあったのに、今はもう何も可笑しくはない。


 時計を見ると針はもうとっくに日付が変わっていて、随分と考え込んでいた事に気が付いた。と言ってもやることなんてない。トオルは再びベッドの上で横になって、今度は仰向けに浮いた。薄暗い室内でオフホワイトの天井が見える。


 ───また、ぐらりと視界が歪んだ。



「、なんだろ……」



 瞬きを繰り返し、手応えはないが目を擦った。
 次いで視界がぐるりと回るような錯覚を抱き、何かに引っ張られている気がしてトオルがそれに従って体を起こした瞬間、平衡感覚を失ったように体が流れてトオルは意識を飛ばした。



 


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