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中編
13
 


 康之がトオルに二泊三日で家を空けるという話をしたのは、旅行予定日の一週間前だった。
 それを聞いたトオルは驚きはしたものの特に詳しく尋ねる事なく、普段通りの明るい声で「はーい」と返事をしたが康之はトオルの目に一瞬だけ滲んだ寂しさを見逃さなかった。

 それから旅行当日まで何も気にしていない風にいつも通りを装っているトオルだったが、毎晩横で寄り添うように浮いているのを康之は知っている。
 寂しい思いをさせたくはないのに、と思うも康之は自分の中で広がっていくぐちゃぐちゃした暗いものを取り払いたくて、ただ何も言わずに眠るばかりだった。



 ───しかし予定日が近づくにつれて康之は胸騒ぎを感じ始めていた。
 行くのを止めようかと考えてしまう。それはトオルを一人にしたくないとする自分の情のせいだと康之は思っていた。この10年は外泊するからと言って胸騒ぎなど感じなかったのに、何故か今回は酷くざわついている。

 そんな胸騒ぎを抱きながら迎えた旅行日の昼過ぎ、康之は微かな冷気を感じて目を開いた。



「おはよー、康之さん」
「……おはよう」



 日中の日差しと似た笑顔のトオルはちょうど腹の辺りで浮いていて、朝の挨拶と共にひらりと手を振って康之が起き上がると同時に横に流れ、実際には座れないがベッドに座るような体勢で康之を眺めている。



「良い天気だよ!」
「……暑そう」
「ちゃんと水分摂ってね?」
「ああ、」



 寝癖の付いた髪を掻くように弄った康之は、大きく欠伸をしながらベッドから降りて廊下に出る。その後ろからふわふわとトオルがついてくるのを知りながらトイレに寄って洗面所で顔を洗い、鏡を見ると透けた体でそれを眺めているトオルと目が合う。



「顔洗ったのにすっごい眠そうだよ?」
「眠い」
「もー、お寝坊さん!」



 お前の事考えてたんだよ、とは言わずに思うに留めた康之はタオルで顔の水分を取って、また欠伸が出るままに口を開いた。
 キッチンで珈琲を淹れ、立ったままマグに口を付ける。

 宿泊予定の宿がある町へは夜行バスに乗って半日程度掛かる。基本的に寝る場所を問わない康之は長い時間の移動で乗り物に揺られようが構わないので、乗り継ぎするより手間の掛からない夜行バスに決めた。

 カーテンを開いた窓からは眩しい陽射しが部屋を明るくしていて、夜でも茹だるような外気を考えると少し憂鬱になったが仕方なく着替えを済ませて持ち物を確かめた。
 二泊三日と言っても康之に必要なものは少なく、旅行鞄に隙間が出来る程度の物しか入れていない。
 どうせ帰りには土産で詰まるのだからと服も薄く嵩張らない物だけを選んでいる。宿を教えてくれた社員は「夜は寒いですよ」と言っていたので、上着を一枚入れた。



 仕度を整えて時間まで寛いだあと、夕食を軽く済ませた康之が旅行鞄を脇に置いて玄関で靴を履き振り返ると、トオルが両手を広げていた。



「自宅警備は任せて!」



 目先のトオルの満面の笑顔は昼間の太陽の明るさに似ていて、その眩しさに康之は目を細めた。
 そして何故か唐突に暗い部屋に飲まれそのまま消えてしまう気がして、触れないと分かっていても康之は無意識に手を伸ばした。



「康之さん?」
「───…、行ってくる」
「行ってらっしゃい!」



 当然その手はトオルに触れる事なく空を切って、その流れで康之は鞄を手に取り玄関を押し開いて湿気の多い空気を吸い込んだ。


 分かっていたはずで、触れない事が当たり前のはずで、それなのに酷くあの頬に触れることを求めてしまった。
 階段を下りながら、家を出る前にきょとんとしたトオルの顔をすり抜けた左手を見て康之は溜め息を吐いた。



 

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