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中編
09
 


「───ただいま」
「おかえりー!」



 仕事を終え帰宅して玄関を開けると、ふわりと現れたトオルは両手を開いて康之を出迎えた。
 見える事や会話が出来る事を知って以降、トオルは康之が帰る度に必ず玄関前に来ては出迎える。それが日常化すると康之も帰った事を知らせるようになり、トオルは益々嬉しそうに「おかえり」と言う。

 透けているから邪魔にならないのにトオルはいつも康之の通れる道を作っている。触れないという事実を隠すように壁を背にしていて、時おりその壁にめり込んでいた。


 ネクタイを緩めながら狭く短い廊下を進み部屋に入ると、鞄をベッドに放ってキッチンに向かう。

 康之の住む部屋はワンルームだが部屋自体は広く、玄関と居間の間に脱衣所付きの浴室とその向かい側にトイレがある。
 曇りガラスの扉を隔てて居間に入ればすぐ左に小ぶりなキッチンと冷蔵庫。横幅より縦に広い部屋は、埋め込みのクローゼットが備え付けられていて窓際にベッドとテレビやテーブルと収納ラックや座椅子を置いても充分な余裕が出来る。
 最低限にしか物を置かない康之にとってはこのワンルームで事足りて、男の部屋にしては随分と片付いてすっきりしていた。



「雨降りそうだったけど、大丈夫?」
「ああ、さっき降ってきたばかりだから」



 冷蔵庫からお茶のボトルを出してマグカップに注ぎ入れ、康之は夕飯をどうしようかと考えながらその場で飲んだ。
 昼間に会社で旅行先を探してはいたが結局良さそうなところは見つからず、かと言ってトオルの居るこの部屋で宿泊先を探すのも憚られる。
 探すのは問題ない。2、3日家を空けるなんて二十代の時にもたまにあった。けれどそれが友人関係だったり仕事関係だったりで、個人的な、しかもトオルの事で悩んで家を空ける事は今までに無い。
 康之は嘘を吐くのが苦手だった。方便ならまだしも、故意に必要のない嘘はやられるのもやるのも苦手だからこそ、宿泊先を探す理由を問われた時に答えられなくなるのが嫌だった。

 幽霊には関係ない事なのに出来ないのは康之がトオルを幽霊ではなく同居人として思っているからで、そこに加わってくる感情が更にトオルの存在感を確かな物にしていた。

 それに個人的な旅行だなんて知ったら、この部屋から出られない寂しがりなトオルは例え表に出さなくても哀愁を抱く。
 友人の付き合いで旅行が決まった時も、どんな場所か調べている間トオルは楽しそうにその情報を見ていたが、その目はどこか寂しげだったのを覚えている。
 そして旅行から帰ってきた時の大袈裟な喜びようも。



「最近雨多いねー、3月なのに」
「湿気が少ないだけマシだ」



 窓の方に向かったトオルを眺めながら、今日は炒め物を適当に作れば良いかと康之はマグを傾ける。
 家具やトイレや風呂の壁をすり抜けるトオルだが、やはり範囲はこの部屋の中だけなのか窓はすり抜けられない。窓はあるがその手前の見えない壁に当たるのだと言う。
 横から見ると分かりやすく、トオルは窓の少し手前に両手をついて外を眺めている。最初は突進したりしていたが、康之が知る限りでは手前の壁に跳ね返されるだけで衝撃はあるが痛みはないらしい。



 窓が透けて見えるトオルの背中から目を背け、康之は緩慢に冷蔵庫を開けた。
 早めに予定を立てないと、たまにある飲み会で酔っ払って帰った時に口を滑らしてしまいそうだった。



 

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