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中編
08
 


 康之がトオルに対して抱いている情を自覚したのは2・3年前とつい最近だったが、康之自身ではもっと前には既に落ちていたような気がしていた。

 新人だった頃に仕事で失敗した時、恋人との喧嘩やフラれた時、街中であった不快な出来事などそれら負の感情が多くなると、トオルはいつも傍で愚痴を聞いてはその明るい性格や表情を一杯に使って康之を笑わせ、時には驚かせて負の感情を散らしてくれる。
 それくらいしか出来ないけど出来ることはやりたい。そう言ってトオルは何年経っても変わらない若く透けた姿で康之に寄り添い当たり前にそこに居て、愛着だと思い続けていた感情がいつの間にか変わっている事に気が付いた。

 トオルが康之と同じ感情を持っているとしても、この想いは何よりも報われない無意味なものでしかない。そう思っていた。
 普段ならすぐに諦めて消えてくれるはずの感情は、未だに康之の中に残っていて剰え自覚した時よりもはっきりと形を作っている。
 だから康之は諦めた。
 無意味なものだとか報われないとか、そう考えるのを諦めて素直に受け入れる。トオルに伝える事は無いし確かに苦痛はあるけれど、消えないならばそのままにしようと抵抗を止めた。

 吹っ切れたのは一年前だったけれど、それ以降は今まで通りに何も変わらずトオルと過ごす日々。
 けれど、この間トオルが珍しく暗くなった時に康之は思い出してしまった。

 この想いが何を持ってしても負から変えることが出来ないという事も、触れたいと望み続けるトオルに応えられない事も、それを分かっていながら諦めの早さが発揮されずに康之に張り付いたまま取れない感情の痛み。無くなったはずの苦痛が甦ったせいであの日早々に布団を被ったのに、時間が経っても相変わらず康之の中に残っている。


 一度離れないとダメかもしれないな。


 昼休みに入り各々が食堂や会社の外に行ったり持ち込んだ弁当を広げる中で、康之は一人デスクでぼんやりと持ってきていた弁当箱を開いた。

 三十路の男飯なんて腹が満たされれば良い、程度にしか考えていない康之の弁当は質素だったが、それを本人が気にした事は無い。
 トオルには「もっと鮮やかにしようよ」といつも言われているものの、凝った所で胃に入ってしまえば同じ事だと康之は耳を貸さない。作るのも食らうのも自分だけなのだから野菜が入っているだけマシだろうが、という理由である。


 そんな事を思い出した康之は小さく溜め息を吐いた。自分の持ち物を見るだけで、常に傍にいるトオルが一緒に浮かぶのは仕方ないのかもしれない。
 けれど今は、この感情に飲み込まれてトオルに悟られてしまう前に、吹っ切れた後みたいに戻さなければいけない。
 康之は近くに置いていた裏向きのスマートフォンを引っくり返し、検索エンジンで"安いホテル"と打ち込んだ。


 二、三日離れれば戻るはずだ、と康之は考えていた。
 それくらいなら家を空けている時もあったし無駄に心配を掛けないし探られたりしないはず、と大量に出てきた情報を流し見ながらご飯を摘まむ。
 幽霊の心情を気にするなんてな、と自らの気持ちを蔑ろにする事もない自分の変化に康之の顔には自然と笑みが浮かんだ。



 


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