中編
19
吸い込んだ酸素が一瞬だけ毒を帯びた。
体内で生成される毒素が、二酸化炭素と共に吐き出されていく錯覚に陥って静かに呼吸を止めた。
「楓、」
「……はい?」
「寝てんのかと思った」
「昼寝には良い気温ですね」
「そうだなー」
隣で転がっている彼は、俺の名前を呼んだ時僅かだが声に焦りを乗せていた。
呼吸を止めた事に気付くくらいにはよく見ているのか、と顔をそっちに向けた瞬間、咄嗟に息を詰めた。
「……なんでこっち向いてるんです?」
「なんとなく」
横向きに肘を立てて頭を支えていた久住さんは、笑うでもなく言う。
穴が開くのであまり見ないで下さい、と顔を戻しながら言うと微かに含み笑いが聞こえてきて、反射的に片手を脇腹に落としてしまった。
「いって」
「……すみません」
「楓は面白いな」
「なんでですか」
「大人しそうだし言葉も堅いのに、たまに急に砕けるから面白い」
「……馬鹿にしてます?」
「いや楽しい」
よく知りもしないし親しくもないのに、なんでそう軽々と言えるのだろうと溜め息を吐く。
いや、でも、この状況は親しくなっているのだろうかと思いなおす。
途端に襲ってきた恐怖を隠すように腕を顔に乗せた。
「なんか重いもん抱えてんなら吐いちまえばいいのに」
小さく聞こえた声に、息を飲み込んで口を開いた。
「……誰にでも、絶対に他人に知られてはいけない事ってあると思うんです」
「それがここに来た理由?」
久住さんは聡い人だ。
1から10まである可能性の中で、最も近いものを素早く判断して当ててくる。
「そうかもしれませんね」
「腹立つなー」
けれど、例え予想がかなり近いものであってもそれは予想に過ぎない。悩みを抱える本人の口から真実を聞かない限り、それは不正解にもなり得てしまうのだ。
───自分が同性愛者である事でトモダチに恋愛感情を抱き、関わりを断てず気持ちを上書きする事も吐き出す事も出来ずに抱え込み、これが異常であると決められた常識と世間の空気が毒に思えてしまった。
それ以前から親族に蔑まれ、気味が悪いと遠ざけられて来た自分が居て。
生きることは出来るのにどこもかしこも毒々しい酸素が充満していて息苦しく、知らない場所に来れば息が出来る気がした。
そんな理由をもし彼がひとつでも当てたとしても。
自分がそれを不正解だとしてしまえば、ハズレに変わる。それくらい簡単に書き換えられる。
なのに何故か今は悲しかった。
今までしてきた事と同じなのに、息苦しくもないのに、酷く悲しくて怖かった。
惚れるな、と言われたら惚れてしまうのだろうかと思ってしまう。
意味のない意地と、硬直した恋心。
好きになってしまったらどうしたら良いんだろう。
そしたら、気付いたその日に帰ろう。
二度と来ることなく、新しい片想いを抱えていればきっと、トモダチともちゃんと向き合えるような気がした。
色恋話になっても、ずっと遠い場所に居るのだと叶わない遠恋にしてしまえる。
迫り来る恐怖に耐えたら、誰も傷付けず、自分も傷付かないであの場所で呼吸が出来るだろうか。
呼吸が震えた気がして、咄嗟に背を向けた。
「どうした?」
「なんか背中痛くなりました」
「ひょろいなー」
「また腕落としますよ」
背後で笑う声がして、静かに息を吐き出した。
一緒に居れば居るほど苦しくなるわけではないのに何故か不安ばかりが膨れ上がって、誤魔化すように笑った。
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