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中編
10
 


 にやりと笑う彼から目をそらし、思い付いた言葉を返した。



「俺が向こうに戻る日に会ったら、置き土産に教えるかもしれません」
「いつまで居んの?」
「さあ、いつまででしょう」
「うわー、めんどくさ」



 笑いながらタオル越しに頭を掻いた相手に少し笑うと、御主人に急かされた彼は「また来るから」と老夫婦に挨拶をしてから玄関へと気怠げに向かった。
 御主人がついて行ったその背中を見送り空になったグラスを洗っていると、御夫人が控えめな笑い声を上げる。



「受け流すのが上手ねぇ」
「向こうで散々流していたので癖で。彼の気を悪くさせたら申し訳ないですけど」
「良いのよ、あの子知りたがりだから。寧ろしつこかったでしょう」



 ごめんなさいね、と本当に申し訳なさそうに言うもんだから、あなたは何も悪くないと首を振った。
 そのまま今日の夕食の話になり、見送りから戻ってきた御主人も交えて少し会話をしてから、夕食の前に風呂に入ることになった。




 ───浴槽に浸かりながら、そういえば互いに名乗らなかったなぁとぼんやり思い出す。
 けれどあまり親しくなるつもりもないので気にしなくて良いか、とあまり覚えていない顔を浮かべようとして止めた。
 夕食が終わったらまた少し散歩をしようと決め、温まった体を湯から上げて浴室から出た。



 夕食は今朝採った野菜や、山菜の天ぷらも付いていた。
 夜の散歩は大丈夫かと老夫婦に問うと、行くなら日中訪れた商店街側で上着と懐中電灯を忘れなければとの助言を受けた。

 そして一応と裏手の扉の鍵を渡されて、朝に返してくれたら良いからと、たった二日目の客に対する信用度に目を見張る。
 鍵を渡して大丈夫なのかと聞くと、「そう聞いてくるお前さんだから問題ない」と御主人に言われ、掌に乗った鈴付きの鍵を握り締めた。



「森とか林に入らなきゃ、変な虫に刺されたりしねーけど気を付けなよ」
「わかりました」



 変な虫ってなんだろう、と僅かな不安はあったものの、商店街までの道は舗装されていて車も滅多に走らないため、懐中電灯を点けて好奇心で知らない道に入らなければ平気かなと考える。

 おいしい夕食を済ませて部屋に戻ると風呂に入る前に一度入ったのにやけに久しぶりな気がして、すのこのベッドとテーブルに椅子、簡易の小さい冷蔵庫と小さいテレビくらいしかない部屋を眺めた。


 明日の朝方も畑の手伝いをする約束を御主人と交わしていたので、早めに帰ってこようとパーカーを着て懐中電灯を手に、裏手の鍵を落とさないようにチェーンで繋げてベルトを通す所に引っ掻けた。
 一応携帯もポケットに突っ込み、居間に居る老夫婦に声を掛けてから宿所を出る。



「……暗い」



 外灯などほとんどない場所だったらしく、日中見えていたほぼ全ての景色が黒に飲まれていた。

 懐中電灯を点けて足元や少し先を照らしながら坂を下っていると、大人しくなった蝉の代わりに鈴虫などの声が聞こえる。

 そういえば大学のトモダチ達は、田舎の夜道は怖くて歩きたくない等と話をしていた。当たり前に明かりと人通りのある地元に比べれば、明かりも人も殆どないこの道は慣れなくて恐ろしく思うのかもしれない。

 けれど、見上げれば雲のない空には星の光がよく見える。砂粒のように視界一杯に散りばめられた空を、あの場所で見ることは出来ない。
 ここでしか味わえない光りもまた好きになる。



 


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