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中編
09
 


 人間は面倒くさい。都会に飲まれ、他人に飲まれ、常識に飲まれ、色々なものに飲まれて渦の激しさについて行こうと躍起になっては溺れてしまう。
 都会が忙しないと感じるのは、そこが渦の中だからなのかもしれない。

 穏やかな海ではなく、静かな湖でもなく、ぐるぐると止まることのない空間。この場所と地元では、まるで地元が大きな箱の中であるように思える。
 都会という名前の箱の外に出たら、世界はとても静かだった。
 箱の中で生きてきた人間は、知らない静かな世界に畏怖するのだろうか。
 自分もそうなるのだろうか。


 御夫人が麦茶のおかわりをくれて、水滴で濡れた手でグラスを撫でた。



「俺も何回か東京行ったことあるけどさ、」



 椅子の背もたれに寄りかかり、頭のタオルを弄る彼に目を向ける。



「何回行っても空気が重かった。周りはみんな派手で、土の匂いも都心じゃまったく無くてさ、場所によっちゃこっちみたいなとこもあるんかもしれねーけど、ガチャガチャしてて落ち着かなかった」
「……」
「みんな流行りの携帯とにらめっこでさ、電車乗った時とか怖かったもんな、まるでそこにしか世界がねぇみたい」
「……そうですね」



 彼の声は淋しそうだった。
 同じ人間なのに、と言っているように聞こえて、都会の分厚い壁を前に立っているような感覚があったのかもしれないと考える。


 ───機械は冷たい、と誰かが言っていた。
 手書きの暖かさを忘れてしまうのだろうかと、その人は嘆いていた。声や顔の色も、人肌の温もりも、僅かな瞳の変化すらも見えずに、ただ機械を介してやりとりされる会話の何と寂しい事か、と憂い、けれども進化していく科学に否定はなかった。

 それがあっても残してほしいものがあるのだと、その人は笑っていた。

 科学の進化は人間の退化だと、別の誰かが表情を歪めて、きっと今の機械がなくなったら人間は狂ってしまうのではないかと、その人もまた笑っていた。

 早足で進んでしまえば残すべきものすら置き去りにしてしまうのだと。
 作り上げた人間が死んでしまえばもう何もなくて、取り残された人間がその足跡を辿り、途中で無くなった道を無理矢理にでも進み続けている。


 そんなことを考えていたって自分には何も出来やしない。時代の流れに任せてただ自分の人生を作ることに精一杯で、進化させている人間任せにして寄り掛かっているだけだ。
 だからこそ、彼らは進化を否定はしない。ただ受け入れて、残したいものを残している。


 腐るほどにいる人間全てと仲良しになどなれない。全てに善良な人間など存在しない。
 受け入れてくれる人間や、受け入れられる人間など、全人口の僅かしかいないのだと思えば、彼の恐怖は和らぐだろうか。
 彼が見た都会の冷たさが全てではないのだと、けれども俺には伝えられやしない。
 自分だって、あの空気を毒だと思ってここに逃げてきたのだから。



「やっぱさ、そういう空気に疲れたから来たのか?」
「どうでしょうね」
「教える気ねぇな」



 再び同じような質問を投げられて同じように返すと、彼は眉を寄せて口端を上げた。
 そんなに気になるのだろうか。何故来たのかと、そんな理由を知った所で何も変わりはしないのに。

 そろそろ帰らんと文句言われんぞ、と御主人が話を切ってくれて息を吐いた。

 壁掛けの時計を見た彼は「ホントだ」と呑気な返事をしてから、麦茶を飲み干して立ち上がる。
 座っていたから分からなかったが、彼は俺よりも10cm以上は背が高くて思わず後退りしてしまう。



「気が向いたら教えてよ」
「え?」
「理由」
「あぁ…、」



 


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