中編
変化の方向。‐1
───ぼやけた視界の中、目の前に締まった顎のラインと首筋が見えて頭を動かした。
「はよ。調子は?」
「…怠い、痛い、重い」
「ふは、声ガラッガラ」
「なんでそんな元気…」
「俺もヤバかったんだよ、しばらく起きれなかった」
横向きに肘をついて頭を支えている槙野は、しばらくヤリたくねぇ、とカラカラ笑った。
とにかく全身が気だるい。重い。腰と喉が痛い。掠れた声にどれだけ叫んでいたかが分かる。
起き上がる気力もなく、ただ見上げていたが、ふと体の異変に気づく。
あれだけ出したのにベタつかない。それに下着の感触もあるしシャツも着ている。
「後処理、したのか」
「風呂まで運んでも洗っててもお前まったく起きねぇのな」
「……」
それだけ負担が掛かったのか俺が図太いのか、まったく気が付かなかった。
礼を言うと槙野は俺を気遣うばかりで大丈夫だと笑う。
これがあの強烈な快楽の後遺症とすれば、納得はするが二度と使いたいとは思わない。あの薬の出所を調べて潰さないとダメか。
「あれ、どこから来るんだ」
「あれ?」
「薬」
「あぁ…、あれが何処からかは知らねぇけど、そういう類いのモンをタチの悪い連中が仲介してる話は聞く」
「……そうか」
槙野は面倒臭そうに眉を寄せながら、なぜか俺の髪を梳くように撫でてきた。
表情と行動の矛盾さに疑問しつつ、動く気も不快感もないからそのままにする。
「まあ、それを見つけるとこまでは行けるだろうが、潰すのは難しいだろうな」
「今なら自由に動ける」
「お前、」
「とりあえず理事に許可もらう」
「出来るのかよ、そんなこと」
「俺は、“生徒会長"をただ全うしてたわけじゃない」
そう言うと、槙野は一瞬目を見開いてから意味が分からないという顔をした。
ただ生徒会長という立場で過ごす事なら簡単で、この学園の生徒なら誰でも出来る。任された事務と雑用をこなせるなら問題ないのだから。
俺はそれだけではつまらなかった。ただそこに立つのは退屈だったのだ。
野心家、というほど熱血ではないけれど、やりたいことはやってきたつもりでいる。
生徒会長でいる間に俺が築いて来たのは、ただの統制関係ではない。
理事が俺に負い目を感じているのなら、密かにこの問題に頭を悩ませている学園理事が俺の提案や希望を拒否する確率はかなり低い。
「あれは潰す」
「なんか、去年のお前に戻ってきたな」
去年の自分。
どんなものだったかは正直あまり覚えていない。昔と言えるほど時間が経ったわけでもないのに、忘れるのは早い。
気力というものは、興味や関心、拒絶するものに対して顕著に現れる。
根絶やしは難しいだろうが、幾つかあるだろう仲介場所をひとつでも潰す事が出来れば、後は任せればいい。
俺が出来ることは大したことではないけれど、小さなヒビが入れば、亀裂から次々と崩していける。
髪を梳く動きは止まっていたが、その手は頬を撫でていた。
そらしていた目を合わせると槙野は苦笑いを浮かべていて、どうしたのか聞いてもすぐには返事がない。
「なんだ」
「いや、お前が感情豊かになることに喜ぶべきか悩んでるだけ」
「は?」
意味が分からない。
意図か読めずに凝視していると、気だるく力が抜けた体が抱き寄せられた。
少し腰が痛んだが、槙野の様子の変化に痛みを訴えられず黙り込む。
頭に顎を乗せられる。寝転がっていようがこいつの方が背が高く感じるとは思わなかった。
再び後ろ髪を撫でられる。
「…お前が前みたくなれば、確実にまた人に囲まれるだろうな」
「さあな」
「お前はそれでも此処に来るのか?」
「来るけど」
「けど?」
「俺は俺で、何も変わらない。元々囲まれるのは好きじゃない」
「…ふうん」
「ここは落ち着ける。だから来る」
「……、お前もうこっち移れよ」
「それもいいな」
「……」
淡々とした会話の中で、槙野が笑いながら以前と同じことを言ってきた。同じことを返すと、ぐ、と力を込められて首筋に鼻が当たる。
槙野が何を考えているのか。どうしたいのか。それは槙野にしか分からない。ただ俺が予想などをしないのもあるけれど。
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