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 茨垣を裸体で潜った末の屠所の羊に似ていた。
 すべては身から出た錆であるが故に、二十三年間は己の罪に罰を与えられているのだと思って生きた。
 けれども、もう疲れた。
 この世界は自分にとって地獄と同じなのだ。生まれてくるべきではなかった。
 死ぬしかない、という言葉が、一時も離れず浮かんだまま張り付いていた。
 色味を感じない騒がしい街中を歩けば、視界に必ず入ってくる仲睦まじい男女たち。手を繋ぎ、肩を触れ合いながら、囁き合い、笑い、喧嘩をし、子供を連れては「幸せとはこういう事だ」と胸を張っている。白昼堂々と、何の疑問もなく。

 苦しい。息が出来ない。
 この四十年、いや二十三年前から、彼らが皆、僕と言う存在の「内側」を知ってどう反応するかをよく分かっている。
 彼らが当たり前の常識と思っているその「一部分」は、たったひとつの"違い"だ。
 自分が持ち合わせているその"違い"を彼らが知ると、途端にその目は変化する。
 打ち捨てられた死骸を見るように、ホームレスの人間に向けるように、人ならざるモノを見るように、宇宙人と対面したかのように。
 個性だ、と声高に主張しながらも、その実"同じ"ではない人間だと否定し、拒絶し、攻撃するのだ。
 "殺すことを厭わない"とその目で、全身で叫んでいる。

 なんて息苦しい。

 恋愛なんてしなくとも生きることは出来る。そうして四十まで生きた。
 友も、家族もなく、うわべだらけの虚飾な生活を続け、誰にも悟らせず、極力人と関わることも親しくなることもない。
 むなしい性処理も、独りではないはずなのに心に巣食う孤独感も、どうしても抱いてしまう好意や向けられる好意、それに応えられない罪悪感も、人の心と向き合うたびに重くなり、潰れかけている。

 ゲイとして生きるには、この世界は眩しすぎた。
 国外でも国内のどこにいても、同性愛は許されていないこの息苦しい世界で、一体どう生きろというのだろう。
 ネットにも心を割って話せる人はいない。
 独りで抱えるしかないここでは、自殺している人の多くは同性愛者だ。
 ニュースでは憎々しく取り上げられ、死して尚晒され吊り上げられて、間然な言葉で埋め尽くされたコメント。悔やみすら無く誹謗中傷に変わる。


 生まれ変わることがあるのなら、来世では同性愛者じゃないといい。それか、彼らが生きやすい世界になってほしい。
 "普通"になれるだろうか。
 友も、親も失わずに生きられるだろうか。
 ああ、でも、もし出来るなら、"この人生の記憶が残る来世"がいい。
 そうすれば同じ過ちを犯さずに済む。
 無二の親友だったアイツの結婚式にだって出られるかもしれない。
 気持ち悪いと見下され、暴力を振るわせずに済むかもしれない。


 わがままだな。
 けれど、最期くらいは願ってもいいだろう。叶う叶わないなんて、死んだらわかりゃしない。

 もう終わろう。
 終わらせよう。
 アイツのために、自分のために、親のために。



『───自分ばっか責めんな』



 なあ、やっぱり、ひとりは淋しかったよ。



 


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あきゅろす。
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