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 ひゅう、と喉が鳴る。脈打ちが荒々しく、鼓動の音が感覚として聞こえる。
 そんなはずはない、と頭では否定しているが、裕生の目には高校生の姿をした親友が映っていた。ハッとして己の手を見ると、若々しい手がある。慌てて体に触れてみても、年を重ね弛(たる)み草臥(くたび)れたものではなく、無駄な肉の少ない程よくハリのある体だ。
 自分は確かに四十歳で、"ついさっき"海に飛び込んだはずだ。海水を飲み込み、肺に流れ込んだそれは呼吸を止めた。苦しみもがいた。あの苦痛をしっかりと覚えている。
 だが裕生が今見ている手も、触れている体も、四十のそれではない。裕生が二十三年を過ごした廃れた部屋に、ベッドなんて洒落たものは置いていなかった。
 なにより目の前に、"最後に見た姿のままの"親友が居るわけがない。

 裕生の薄く開いた唇から、浅い呼吸が通常より早く繰り返され、か細いそれはひゅうひゅうと音をたてた。


「裕生、おい、大丈夫か?」
「……───さと、し、」
「うん、寝惚けてんの?学校遅刻すんぞ」


 藤本聡(ふじもと さとし)は裕生の遠い記憶の中の彼だった。吊り気味な目の強さも、それに反した優しく柔らかい声も、右眉の端にある黒子も、ストレートな暗い茶髪も、心配する時の声音も、制服の気崩し方でさえも、あの頃のままだった。
 ここはどこだ。ここは、過去か。
 裕生は未だに身動きせず聡を見つめたまま、現状の答えを探した。それ以外に出来ることがなかったのである。

 しかし聡は疑問しながらも、裕生の額に手を当てて「熱はないな」と確認したあと、立ち上がって言った。


「早く起きて着替えろよ、朝飯食いっぱぐれるぞ〜」


 背を向けた聡は部屋から出て行ったが、先に学校へ向かったわけではないと裕生は分かっていた。あれが聡なら、来るまで待っている。いつもそうだった。
 裕生は開けっ放しの扉からゆっくりと目線を部屋に巡らせた。
 壁に貼られたアニメやバンドのポスター、ハンガーに掛かった制服。机、その上の本、雑誌、ゲーム機。脇に立て掛けてある学生鞄。床のラグは親が買ってくれて裕生が選んだ浅緑のアラベスク柄で、似た柄のクッションに、小さい黒の木製テーブル。目下の掛け布団は白地に黒い蔦が這っている。
 上半身を起こし、枕元に置いてある端末を見つけた。ワインレッドで無地のカバーは背を向けていて、付属のリングは銀色で四角い。端末カバーの色はよく覚えていないが、こんな濃い赤だっただろうか。

 しかしほぼ全てに見覚えがあった。当たり前だ。ここは裕生の実家で、裕生の部屋で、裕生自身が使っていたものだからだ。

 ぼんやりとそれらを見ていた裕生だったが、咄嗟に端末をひっくり返し、暗い画面を点けた。ロック画面にはどこかの森林公園で、日時は"2030年5月29日6時50分"を表示した。
 食い入るようにそれを見つめ、画面がブラックアウトすると裕生はベッドに座り込んだ。両手に握った何も言わない端末は、暗い画面に反射した裕生の顔を映している。

 頭が真っ白になっていた。
 ただひとつわかったことは、端末に表示された年月日時と、自分が身を投げた年月日が"まったく同じ"であるという事だけだった。



 

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