豆鉄砲を食らう
塩分濃度の高い水が鼻に入り込んで痛みを感じ、容赦無く肺に流れ込むそれらは呼吸を阻害し、息苦しさに手足を荒らげたのは本能だった。
死を望んで飛び込んだのに、生にしがみつく体はしかし、ぴたりと固まって動けなくなった。僅かに残った二酸化炭素が気泡となって吐き出され、上がっていく様をぼんやりとした頭で見送った。平衡感覚が無くなり、自分が沈んでいるのか浮いているのかすら分からない。
長い、長い苦しみだった。ただひたすらに苦しく、泣くことすらも出来ない終わりのない苦痛。しかしそれは、唐突にぶつりと切れた。
───まったく、人間ってのはどうしていつまでも我が儘なんだか。
低い声を拾った。
───ああ、お前なら…ちょうどいいや、"あっち"に飛ばしてやるよ。
何の話をしているんだろう。あっちって、なんだ。
───せいぜい上手く使えよ人間。俺の気まぐれ、暇潰しの特別サービスなんだから。
だから、何の事だ。誰なんださっきから。もう終わったじゃないか、あの世の使者ってやつだろうか?随分と口が悪い。
───あの世の使者ぁ?んな低レベルの能無しと一緒にすんなよ。
だったら一体なんだっていうんだ。
───あー、もう、生きても死んでも喧しいな、まったく。
ちょっと待て、答えてくれ。何なんだ、どうして何も見えないのに声だけが聞こえる?ここは海の中じゃないのか?僕はちゃんと死ねたのか───
目眩のように身体が揺れた感覚がした後、芦屋裕生(あしや ゆうせい)は震える瞼を持ち上げた。
ずっと声が聞こえていて、ひたすらに続く疑問を投げ続けていたのに結局答えは返ってこなかった。一体なにが起こったんだ───と考えながらも、裕生は自分が薄暗い中で天井を見上げていると気が付いた時だった。
「裕?裕〜、おーい」
耳馴染みのある高めの声が横から聞こえ、しかしそれは先ほどまで聞いていた、傍若無人を声だけで現していた主ではなかった。あれはもっと低くて、単語ひとつ取っても偉そうな───
「裕生!」
「っ!?」
その時、天井を隠すように名前を呼びながら覗き込んできた顔を認識した瞬間に、裕生は呼吸を止めてその場に飛び上がった。
しかし次いで鈍い音と衝撃、「いってえ!」という自分ではない声と共に再び身体が倒れる。額の痛みと目眩の中、咄嗟にそこへ手を当てた。
「あ〜、ぐらっとした」
再び聞こえた近くの弱々しい声に、裕生は息を飲んだ。
頭の中が混乱の渦に侵されて思考が正常ではないとわかってはいるが、そんなまさか、あり得ない、というはっきりとした思いを抱きながら顔を横に向けると、そこには額を押さえた制服姿の男子高校生が床にへたりこんでいた。
その顔を裕生はしかと目の当たりして、見開いた目は瞬きすらも出来なかった。
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