短編集2(2020~)
2
「───やっぱ冷えぴたかあ」
「違うそうじゃない」
「冷えぴた取り換えたの俺じゃなかったらどうなってたの?」
「だから…っ」
しゃがんだ相手に合わせてその場に座ると、飛田は頭を抱えながら「そういう別け隔てない所」と小さく言ったのだった。
冷えぴたが効いたのかと思えば、どうやら冷えぴた交換がメインではなかったらしい。
飛田は以前から俺をよく見ていたようだった。のらりくらりと深く付き合わない関わり方をしていただけなのだけれど、飛田からしたら俺は告白しても真剣に聞いてくれそうな相手らしい。
「頭、撫でただろ」
「冷えぴたのとき?」
「とりあえず冷えぴたから離れろ」
「すごい辛そうだったけど、迎えは?」
「一人で帰った」
「なんで」
「親は仕事だから、連絡しなくていいって言ったんだよ。ちょっと寝て帰るっつった」
「頭撫でたの覚えてたんだ」
デカイ体で膝を抱える飛田は拗ねた子供のようだった。確認するように問うと、一瞬肩を上げたが顔は伏せたまま頷いた。
「気持ちよかったの」
「言い方……」
「撫でられるの好き?」
「されたことなかった」
「えっ」
親にも?という言葉は出なかった。ただ、パッと手が出て形のよい頭に乗せると勢いよく顔が上げられて、目があった。
「な、に…っ」
「ああ、いや、なんかつい。触られるの嫌いそうだなとは思ったんだけど」
「嫌い…だけど、」
しかし飛田は大人しく撫でられている。
髪はさらさらしていた。同級生の男の頭を撫でるなんて、ふざけてる時くらいだ。それもすぐ止めるのに、何だか飛田は撫でていたくなる頭をしている。
告白されたから流されているのか、とは考えたけれど、どうやら少し違う。
勇気を振り絞った告白効果も確かにあるだろうが、その時の必死な顔や今すぐ逃げ出したいような雰囲気、後悔している強張り、不安、恐怖、拒絶されなかった安堵や頭を撫でられている悦び。縮こまっている姿から色々なものが感じ取れる。その空気、声、仕草、どれも悪くないものだ。
「なんで告白しようと思ったの」
「っ、悪い…気持ち悪いよな、」
「いま頭を撫でてるんですけど」
「……いつまで撫でるんだ」
「気が済むまでは止められないかも」
「……お前、変だな」
「変わってるね、とはよく言われる」
ちょっとズレてるよな、と人から必ず一度は言われるが、それが俺の持ち味のようで嫌われるものではないらしい。
お前のそういうとこ面白いよと笑うから、まあいいかと思う。けれどそもそも何を言われても変える気はない。
「……好きに、なってもらえたら、お前がどんな風になるのか気になったんだ」
「どんな風って?」
「態度とか、色々。そういうの考えてたら我慢できなくて、」
誰しも恋人と友人では態度が変わるだろう。表面上の変化は無くとも、二人きりの時とか、思考の基準とか、心持ちとか。
そういう変化が自分にあるのかどうかと考えると、正直あまり無かった。今まで三人と付き合ってきたけれど、どれもすぐ別れた。好意を疑われるというよりは、つまらないとか変化が無さすぎるとか、嫉妬に疲れたとか。
過去の経験を教えると、飛田はまた呆気を含んだ瞬きをして、首をかしげた。
「誰にでも別け隔てないからか?」
「たぶんね」
「誰にでもこうやって頭撫でんのか」
「しないよ。飛田は俺も知らない俺を引っ張り出してるのかもね」
「………」
ぽかん。という言葉がぴったりな顔だった。半開きの口から見えた白い歯の並びがきれいで、緊張で乾いたのか筋の目立つ唇の隙間から小さく漏れ出した自分の名前を聞いた時、少し心が浮く感覚を知った。
「ねえ、俺の下の名前知ってる?」
「え? …ああ、珍しいから」
「呼んでみて」
「は?」
目線はずっと唇だった。薄く開いた唇から見えない音が出ていく様は不思議なものだ。
困惑して黙ってしまった飛田に、もう一度「呼んでみて」と言うと、閉じた唇がゆっくりと開き内側を外気に晒す。
「氷雨」
"ひさめ"という名称は、雹(ひょう)や霰(あられ)であり、晩秋・初冬に降る冷たい雨または霙(みぞれ)を意味する。
人名に使うには些か愛情に欠いているように感じられるが、親からの愛情はちゃんと感じているし、名前負けしている顔だからと言っても特に嫌いでもない。性格的には合っていると言われている。
その名が飛田の唇から飛田の声で発せられると、やはりまた心が浮いた。ふわりというよりも、その瞬間だけはバネで弾くような感覚で暫く留まるのだ。
発した本人は顔に熱を持っていた。触れている頭まで熱く感じる。頭が沸騰するとはこういう事なのだろうか。
「もう一回」
「な、んなんだよお前…」
「飛田の名前ってなんだっけ」
「……雲水(うんすい)」
「渋いな」
「住職のじいちゃんがつけた」
───行く雲と流れる水のように、方向を定めず諸国を行脚して修行すること。
寺を継ぐのだろうか。
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