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短編集2(2020~)



 『使者』が家に訪れたのは、二十三時五十九分になった瞬間だった。誕生日の次の日も僅かに生きていられるのは、国の配慮なのだろうか。
 扉を開けると、白い羽織りに袴姿で背の高い男性が立っていた。『使者』には両性いるが、必ず同性が充てがわれる。男性の対象に女性の『使者』は抵抗された時に力負けする可能性があるからだ。特殊な訓練を受けているらしいが、それでも純粋な力では叶わないのだろう。
 『使者』は無言で頭を下げたあと、一枚の紙を出した。そこには今回の執行対象者の名前と、拇印の欄がある。彼の名前も連なっていた。寿命前の執行には許可がいる。ふたりで決めて、許可が取れるまでは二年かかった。一度決定されたものは訂正できない。だからこそ、申請許可は時間がかかるのだ。
 彼と二人、拇印を済ませて『使者』の後に続いた。家のガスも止めてブレーカーも下げ、鍵も掛けた。
 繋いだままの手は、互いの熱でしっとりしている。基本的に夜に人は出歩かない。繁華街の一部だけだ。それ以外は随分と静かで、『使者』と私と彼の足音だけが鳴る。

 執行場所までは車で向かうようで、近くに黒塗りの小さな車が一台停まっていた。後部座席の扉を開けた『使者』に礼を言って乗り込むと、座席は包まれるような座り心地だった。高級感のある雰囲気でありながら、どこか懐かしい気分にさせる。
 静かに走り出した車の中で、窓からは見慣れた景色が過ぎて行く。私の指で手遊びをする彼もまた景色を見ていたが、意識は手に向いているようだ。
 会話はしなかった。彼も『使者』も、誰も話を振ろうなどという気持ちすらないように思えた。

 数分ほど走った車は緩慢に停車し、再び『使者』が後部座席の扉を開けた。車から出ると、ガラスの壁には外に続く扉があった。周囲に住宅はない。数ある小規模な工場地帯のひとつだろう。
 『使者』はガラスの壁にある扉を開けた。そこから先は関係者以外立入禁止区域になり、無断で侵入するとそのまま外に放られるという噂がある。
 扉の向こうはガラスの通路が伸びていて、その先にまた扉があった。『使者』は私と彼を通路に入れると、家の前で出した執行書を私に差し出した。

「ここからは、お二人で奥の扉へ。中に執行人がいらっしゃいます」
「ありがとう」
「終《つい》の刹那に安息あれ」

 『使者』はそう言って扉を閉めた。執行書を手に奥へ向かう。ガラスの通路は狭く、二人並んでちょうど良いくらいだった。
 扉をノックすると、中から「どうぞ」と声が聞こえ、扉を開けた。

「───わ、」

 その光景に息を呑んだ。扉の向こうは四畳ほどの広さで、壁はガラスではなくオフホワイトの石壁だった。人工植物が壁に蔦を這わせ、色とりどりの花が咲いている。
 窓のある壁に沿って細長い白のテーブルがある以外は、何もなかった。そこに立つ『執行人』の衣服の黒さが際立っている。

「こちらへ」

 導かれるままに『執行人』の前へ行くと、『執行人』は手にした木箱を開いて中を見せるようにこちらに向けた。中には二本の試験管が入っていて、中身は無色だった。
 『執行人』は穏やかな声色でゆっくりと話し始めた。

「これはあなた方を安楽死させるものです。植物が放出する有毒な物質は、致死量に達するまで、そして死の瞬間までも長い苦しみと痛みを伴います。この薬品は、本来致死量到達までに掛かる時間を二十分まで速め、麻酔と強制睡眠作用が含まれているものです。
 この薬は服用して五分で睡眠導入剤の効果があります。扉を出て、すぐ左にある林に入り、道なりに進んで抜けた先の草原が、あなた方の終の居場所です」

 どうぞ、と差し出された試験管は、十センチ程度の大きさだった。こんな少量でそこまでの効能があるとは、よく開発したものだ。
 試験管を受け取った事を確認した『執行人』は、扉の前で薬を飲むように、と言って外へ続く扉へ私と彼を促した。

「今日は外が穏やかなので、殊更空が綺麗に見えるでしょう」
「ありがとう」
「おつかれさん」
「───終の刹那に安息あれ」

 同時に薬を飲み込み、『執行人』が開けた扉から外に出た。扉は既に閉まっている。

「───凄いな、これがガラスの外か」
「行こう」

 外の空気は、匂いがあった。土の匂い、草の匂い、花の甘い匂い。空気に含まれる湿気。
 左側に足を向けると林があり、彼と手を繋いで道を歩いた。何人もの人間がそこを踏んだ為に出来た道だ。
 彼は木の枝に触れたり、葉を撫でたりしながら歩いている。少し歩くと林は無くなり、木に囲まれるように草原が広がっていた。
 眠気が迫ってくる感覚がしていた。草原に腰を下ろし、彼とともに地に背をつける。空は雲ひとつ見えず、埋め尽くすような星が輝き、大きな月が周囲を明るく照らしている。

「───綺麗だ」
「うん、とても、綺麗」

 彼も眠気と闘っているのか、私の手を唇に近付けている。どうせなら唇にキスしてくれればいいのに、と思ったが、自分が動けば良いのだとすぐに至って彼と向かい合わせに寝返りを打ち、唇に触れた。
 揺れる瞳はもう眠りに飲まれそうだ。

「……愛してる」
「愛している」

 
 余計な言葉はいらなかった。ただ、その一言だけで、多くの意味を持っていた。
 指を絡めて握り締めた指の力が抜けて行く。解けないように絡ませて、額を寄せて、互いの体温だけを感じた。草と土の匂いは、懐かしく愛しいものだった。
 風が吹いた。寒くはなかった。


 end



──────
自転車の走行中に浮かびました。
という謎な主張してみました。

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