[携帯モード] [URL送信]

短編集2(2020~)

 


 夜風に体温を奪われて身震いした時、玄関の方でチャイムが鳴った。
 驚きもせず慌てるでもなく窓を閉めてから、畳の上を踏み込んで壁一面に敷き詰められた棚の多種多様な本たちを横切り、インターフォンを無視して直接玄関に向かう。訪れた相手は分かっている。

 黒い艶のある扉を押し開けると、途中で着崩したのかネクタイが外れて第2までボタンの外れたシャツが見えた。仕立てたばかりというオーダーメイドのスーツを着た背の高い細身の男は、勤めて5年を過ぎて二十代の半分を越えているにも関わらず、童顔のせいかスーツを着ると新卒だとか就活生と間違われる。


「こんばんは、先生。また風呂上がりに窓開けた?風邪引くよ」
「こんばんは。なんで分かったんだ」
「髪が荒れてる」


 玄関先で靴を脱いだ男は、その場で頭ひとつ下の俺の髪を指で梳いた。「ちょっと湿ってるし」と言って笑いながら、彼は俺の手を引いて居間に足を向ける。

 この背の高い若者と出会ったのは二年前だった。出版社の新入社員で、当時担当していた年配の編集者と共に訪れ「暫くして慣れたら今後は彼が担当になります」と言われた時にはかなり不安だった。
 担当の編集者はもう定年で、退職も近く、新しい担当に引き継ぐのは当然の流れだ。でもまさかこんな若いとは。
 けれど、新しい担当はかなり真面目だったし、能力も申し分なかった。紹介する前の三年間はみっちりと教育をして、社内でも厳しいと言われる先輩の扱きにも一度も根を上げずに、先輩には大層気に入られたようだ。
 だからこそ、引き継ぐのは彼がいいと決めたのは先輩で、その腕と目利きを信頼していた俺も、不安は最初だけだった。
 彼から好きだと告白されたのは、それから一年過ぎた頃であった。

 ───居間のソファに俺を座らせて、慣れた手つきで髪を櫛で整える目の前の男は、同年代や年下や年上の異性を選り取りみどりに出来る見た目や性格を持ち得ていながら、純粋な少年のようでいて熱の籠った男の目で、「仕事と私情は分けられます」と言った。そこでも彼は真面目だった。

 現に、担当者としての彼とプライベートの彼は、表裏一体でありながらその表裏は白と黒のようにはっきりと分かれていた。
 仕事の時間が終わっても、必ず彼は一度この家を出て、スーツを着崩して時間を置いて戻ってくるのだ。
 面倒臭くないか、と疑問を投げた時は「これも楽しくて好きだ」とあっさりしていた。

 なぜ自分なのか、ともちろん告白された時に聞いた。
 その時俺は修羅場明けで全身が草臥れた使い古しの雑巾みたいだった気がする。欠伸を噛み殺して、マグカップ片手に半分くらい眠っていたかもしれない。真剣さなどまるでなかった。
 彼はそれを見ながら笑った。「そういうところが好きです」と、年寄りをベッドに案内するように俺を運びながら。
 その後は原稿を手に家を出ていき、告白された事自体が夢かと思っていた俺を分かっているかのように、後日の休みに私服姿で同じやり取りをしたのだった。


「ちゃんと乾かさないと」
「面倒臭くて」
「いいにおいする」


 頭を抱き込まれて一瞬息が止まった。
 昨今の若さからは積極性が欠けているとはいっても、彼はそれを充分に持ち合わせていたのだと思い出す。


「……そろそろ切るかな」
「えー、ダメだよ、短くしたら」
「なんで」
「似合うから」
「あ、そう」


 素っ気なく返事をした後で、腹の奥から迫り上がる笑いが止められなかった。


 世界は同性愛に厳しいけれど、全てではなくとも、身近な人間は優しく暖かい春のようにそこにいた。
 それだけで充分だ。
 友人に彼のことを言ったら、どうせまたあの時と同じように舌打ちをおまけして言葉を返してくるのだろうな。
 そして別れ際に背中を向けてから言い逃げするのだ。「良かったな」と、振り向きもせずに。



END


[←][→]

2/23ページ

[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!