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短編集2(2020~)



 菓子コーナーへ歩を進める彼の背を追って、けれども急がずに歩いた。女性二人が楽しげにすれ違い、幼児《おさなご》が駄菓子スペースに走っていく。その背に向けて二人の男性が「走らない!」と声をかけている。

 彼と共に生きると決めた時、子供のことを全く考えなかったわけではない。二十代も終えようという頃に、散々話し合って児童養護施設から六歳の養子を迎え入れた。生みの母親は出産の一年後に病気で他界し、出生記録上の父親である男性が世話をしていたが、二歳から五歳まで酷い虐待が続き、やっと保護された男の子だった。
 初めて訪れた施設内で会った時、とてもおとなしい雰囲気で、窓の近くで本を読んでいた。しかしその子は彼と目があった瞬間に、何かを感じたのか、すぐに近付いてきて言った。

『お兄ちゃんも同じなの』
『同じって?』
『痛いことたくさんされたの』
『───……ずっと昔な』
『いまは、』

 そう言いながら男の子は彼の隣にいる私を見て、再び彼に目を向けた。彼はしゃがみ込んで愉快そうな声を出して言った。

『俺のパートナーはね、ヒーローなんだよ』
『おい、ちょっと……』
『ヒーロー?仮面ライダー?』
『そんな感じ。怖い人から助けてくれたんだ。何回も嫌なことしちゃったけど、それでも一緒にいて、いつも、今でも助けてくれるんだ』

 かっこいいだろ、と自慢げに話す彼の姿は私にとってあまりの羞恥で見ていられず、職員に養子縁組について詳しく尋ねる事にした。しかし職員は「今の話、本当なんですか?」とキラキラした目をしていて、どの道逃げ場はなかった。

 彼は私をヒーローと言うが、そんな大袈裟なものではない。ただ、私が十七歳の時に、両親の加虐から逃げ出した彼と出会い、施設に保護してもらってから、彼の要望でたまに会って話をしたりしていただけなのだ。
 いやしかし、彼が十八になって施設を出る日にルームシェアを提案したのは私の方で、その時にはもう愛着とは違った感情が僅かながらあったことは事実である。つまり下心というやつだ。けれども彼があまりにも喜ぶから、弟のように接しようと心に決めた矢先、勘違いや嫉妬ですれ違いを繰り返し、結果、私に対する彼の意識が恋愛感情であると知って、喧嘩混じりの話し合いに話し合いを重ねて交際に至った。
 なんとも単純な話なのだ。


『僕も、ヒーローに会える?』
『会えるかもしれないし、ヒーローになって誰かを助けるかもしれない』
『……僕なんてヒーローにはなれないよ。弱いもん』
『でも生きてる』
『?』
『お前は怖いところから逃げる事が出来た。そんで生きてる。お前がなりたいと思って行動していけば、ヒーローにだってなれるんだ』
『ほんと?』

 男の子は私を見て言った。真っ直ぐに貫く視線は、不安げに揺れている。今にも涙が落ちてきそうだった。
 私は男の子に何も言わず、ただ頷いた。

『───施設内にはまだ多くの子供達がいますから、他の部屋も見てお話ししてみましょうか』
『まって、』

 そう言った職員を止めたのは、彼でも私でもなく、それまで話をしていた男の子だった。職員は優しく微笑みながら「他の子にも挨拶しに行くからね」と言ったが、男の子は彼の手を取り、私の服を掴んだ。

『僕を二人の子にしてよ』
『!、……泰斗《たいと》くん、ごめんね、これは君ひとりでは決められないんだ』
『いや───、君にしよう』
『……そうだな』
『え?、』

 目を皿にした職員に、改めて私と彼はこの男の子を養子に迎える決定を申し出た。男の子は喜び、職員は戸惑っていたが、すぐに書類の準備を始めてくれた。
 ───泰斗は背中に大きな切り傷を持っていた。それが原因で保護されたという。職員の話では、父親はもう生きてはいないらしい。
 養子に迎え入れてから暫くは遠慮や疲労が見られたが、小学校高学年、中学に上がると子供らしさをよく出してくれ、高校生になると口喧嘩もした。それでも我が子は可愛かったし、愛おしかった。
 泰斗が家を出たのは、成人式の一週間後だった。就職先の社員寮に空きが出来たら入寮する事になっていたからだ。
 最初は小柄でとても大人しく静かだった子供は、あっという間に成長して体格も良くなり、身長も軽々と抜かされた。家を出てから半年に一度は顔を見せてくれた泰斗は、今日の午後、パートナーと共に誕生日を祝いに来てくれる。それは随分前から決まっていた。
 誕生日当日は父さんと二人で過ごすべきだ、と言った真剣な眼差しは、どこか彼と似ていた。

 自分にとってのヒーローは私たちだと息子は言った。けれど、泰斗は唯一無二のパートナーにとって絶対的なヒーローにもなった。パートナーは女性で、四年前に男の子を、二年前に女の子を出産している。まさか自分が孫を持つとは思わなかったと、彼と笑い合ったものだ。

 真横でガサガサと音がして我にかえると、シンプルなパッケージの袋を持った彼がそれを振っていた。

「───あったぞ、」
「ん、よかった。そういえば、泰斗は何を食べたいかな」
「ありゃあ何でも食べるさ。俺はあんたの好きなもんしか作らないけど」
「……そうかい? 楽しみだな。でも君の好物も加えるべきだと思うけれどね」
「俺は───あんたが好きな食べ物が好きだから良いんだ」
「キザだねえ」
「あんたに似たんだ」
「嬉しい話だね」

 カートの中には明日の分も含めた使い切れる食品が入っている。残ったとしても泰斗が引き取るから大丈夫なのだが、なるべく負担は減らしたいのだろう。

 私たちは唯一の息子に二冊のアルバムを残している。一冊は私と彼が出会ってから少しずつ撮っていた写真と、泰斗を引き取ってからの写真が入っているが、二冊目は新品の未開封である。未開封のアルバムは、泰斗が残すこれからの記録のために買っていた。
 今の時代、アルバムなんて嵩張るものを残す家庭は殆どいない。携帯端末やメモリーカード、そして何よりウェブ上で残るため、写真の劣化がないからだ。それでもあえて残したかったのは、私がわずかでも『ガラスの壁がない時代』に生きていた証を残したいという、単なる自己顕示欲のようなものである。

 


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