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短編集2(2020~)



 明日の午後十一時五十九分、『使者』が訪れるその瞬間から、この家は私の持ち物では無くなる。長年の愛着が詰まった家は、既に新たな持ち主が決まっているのだ。
 どういった最期なのか、それは最後を迎える人間と、『執行人』にしか分からない。『使者』は素性を白装束に隠して現れ、その行動の全てを他言してはならないという国との制約があるのだと、学生時代に可愛がってくれた先輩を迎えに来た『使者』が教えてくれた。
 《見送り》が出来るのは、外へ繋がる扉の前まで。そこから先は見守る事はおろか、立ち止まることも禁止されている。『寿命』での葬儀は行われない。後日、骨の一部と小さな墓碑が、対象を迎えに来た『使者』の手で遺族に渡される。
 遺族のいない場合、ガラスの箱の中央に建てられた仏殿に保管される。予め指定しておけば同じ区画に入ることも可能だ。


「この後、散歩にでも行かないかい」
「そうだな。ついでに買い出しもしたい」

 今日の昼食は何だろうか、と料理上手な彼の献立を期待しながら、彼の分の朝食の皿とコーヒーカップを一緒に流し台へ持っていった。蛇口の下に皿を翳せば水が流れ、スポンジで汚れを落とし、水で洗う。キッチンや洗面台の水栓には、切替ハンドルも温調ハンドルも付いていない。ただパイプや断熱カバーが伸びているだけだ。
 蛇口の左右に埋め込まれたセンサーで、左側に手をやればお湯、右では水が出る。自動で適温が出てくるため、手動の温度調節は無くなった。しかし今でも注文すれば付け替えてくれる為、ハンドル付き水栓のある家は少なくない。
 ウイルス対策による接触感染の予防として造られた家庭用水栓は、まだ改善の余地があると新しいものを研究しているらしい。押し込むスイッチの代わりに手を翳す屋内電気や自動扉も家庭用として普及した。客個人と業者の売買ではなく、政府による指示で取り替えられたものだ。

 着替えを済ませて彼と共に家を出た。マンションの五階から、エレベーターに乗り込む。一階のセンサーに指を翳した。パネルが点灯し、箱が動き出す。
 大きく表示される各階の数字パネルにセンサーが付いていて、誤作動を防ぐため、体温感知の二秒後に反応するようにできている。
 変わったところは多く、それらは早急に造り替えられていった。今の子供達にとって家庭の中で「あたりまえ」にある機械は、業務用に使われていたものも多い。昔のような接触感覚はどんどん消えてゆく。世の中は利便性や進化と言うが、本当にそれだけだろうか。

 平坦な道を歩き、行きつけのスーパーに立ち寄る。彼は端末を取り出し、カートのセンサーに近づけた。
 買い物カートですら、今や端末との接続によって背後をついてくる。カートにもカゴにも持ち手は無くなり、カゴに詰め込まれた商品でも会計はセンサーを通って正確に計算され、客自身が支払い機で会計を済ませる。それに従業員は常駐しているので、エラーが起こっても素早く対応してくれる。
 スーパーは昼前よりは空いていて、混雑時より広く感じる。隣に並んで歩きながら、真剣に食材を吟味する彼の横顔から、左の薬指にある燻んだシルバーの指輪に目線を移し、ゆっくりと顔を上げて周囲を見渡した。

 若者や子連れの男女、手を繋いで歩くふたりの女性、一つのものを見ながら囁き合う男性。
 ガラスの壁ができる前、世間の「あたりまえ」であった男女の交際や結婚など、それらの常識は瞬く間にひっくり返った。
 まず、これまでの婚姻制度が撤廃され、パートナー制度として変更された。適応可能年齢や世帯の同一化は変わらないが、性別の欄が消えた。つまり、憲法第二十四条一項が改変されたのだ。
 両性ではなく、「両者の合意に基づいて成立し、両者がパートナーとして同等の権利を有することを基本とし、相互の協力により維持されなければならない」。
 それは『異性愛中心主義』という《社会の前提》を覆し、多様なセクシュアルの差別化をなるべく無くそうと言う試みの一つである。
 そもそもの差別的な『特定の性的少数派《セクシュアルマイノリティ》』という概念から、『個人の属性』としてセクシュアリティについて考えるという意識は、随分と昔から少しずつ増えてはいた。
 誰がどんな形であっても、誰かを愛し愛されること。互いが望む唯一の存在と共に生きてゆくということ。その「あたりまえ」を作りたいというものだ。
 中には恋愛感情や性的欲求を抱かない人間もいる。しかしそういった人たちであっても、全員が孤独を望んでいるわけではないのだ。
 婚姻が幸福なのか。必ずしも子を成すことが幸福なのか。果たして本当に《異性の愛だけが》正当であるといえるのか。
 共に生きることに対する法的な束縛や周囲の了承は必要不可欠なのか。数多の不幸により取り残された孤児たちを愛してくれる唯一の家族を作りたい。自らの望む生涯を歩みたい。そういった多種多様な願望を、ひとつひとつ、少しずつ、出来ることから国は進め始めたのだ。
 男女でしか成せない子でも、パートナーが女性同士でも男性同士でも、子が望み養子縁組をすれば親子になれる。
 必ずしも生みの親だけが親ではなく、そして同時に、必ずしも生みの親と共にいることが幸福ではない。望まれずに棄てられた子のために、生みの親を亡くした子のために、虐げられ愛を与えられない子のために、福祉は以前よりも十八歳未満の子供に対する支援を手厚く、強くした。
 それでも問題は無くならない。人の数だけ問題は生まれる。それは仕方のない事ではある。しかし、六十五年という定められた生涯の中で叶えられるのならば。ひとりひとつの願いであっても、それが叶うのならば、やってみる価値はあると───。

 今は男性同士であっても女性同士であっても、中性、両性、不定性、無性、どんな人々も臆さず自らを表現して生きている。
 差別は無くならない。どこにでもある。それでも、昔よりは、随分と生きやすいと思ってしまう。たとえ明日の午後十一時五十九分までの命と分かっていながらでも、笑い合いながら通り過ぎていく彼らを見て、私は笑みを浮かべざるを得なかった。

「周り見てニヤニヤしてると不審だぞ」
「いや、なんだか微笑ましく思ったんだよ」
「じじくさい」
「もうじじいなんだ。お前もそうだろう」
「最近、硬いもん食べられなくなったなあ」
「かた焼き煎餅、好きだったのに」
「ふわふわ溶ける煎餅ばっかりだ」
「それ、買っていこうか」
「売っているかな……」

 

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