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短編集2(2020~)

 


 それは高校二年の冬だった。付き合いはじめて一年が過ぎて、互いが恋人という立場に落ち着いてきたころ。
 彼が歩道橋の階段の中間辺りから落ちて骨折した。前の日に雪が降って、凍結した所を踏み滑ってしまったせいだった。
 駆けつけた病室には彼の祖父母が既に来ていて、冬なのに汗だくになっている俺を見て「そんな慌てたらお揃いになるよ」と笑いながら、気を遣ってか病室を出た。

 ベッドの上で、片足を吊り上げられた彼は恥ずかしそうに「大袈裟」と言ったが、俺は笑えなかった。


「上から落ちたら死んでたかもしれないだろ」
「ごめんな」
「……びっくりした…」


 大きな手が髪を撫で、頬を滑る。
 優しくて強引な所があるその手が好きだった。
 間仕切りのカーテンは祖父母が閉めてくれている。彼は俺に近付いてほしいと言って、俺はベッドに手をついて体を近付けた。
 唇を合わせた後に俺の額に自らの額をくっ付けて、彼は小さく言った。


「俺に何かあって先に死ぬことになっても、お前は俺に囚われたりしないで、ちゃんと次に行けよ…っいってえ!」


 唐突な彼の縁起でもない言葉の直後、俺は咄嗟に頭突きをした。
 額を撫でる彼は涙目で、だけど俺は泣いていた。


「俺より先に死ぬのか」
「逆もあるかもしれないじゃん」
「そうなったら、お前ちゃんと次に行けるのかよ」
「……」


 へらへらしていた彼は、急に険しい顔をして目を伏せた。そして小さく肩を震わせて、情けない顔で笑った。


「……無理かも」
「ばーか」



 彼が俺にピアスの穴を開けないかと提案したのは、俺は中退し、彼が高校三年に上がる春の晴れた日だった。


 ───もしかしたら彼はずっと不安だったのかもしれない。付き合い始めにプレゼントしてくれたブレスレットは、冗談混じりに「死ぬまで着けててよ」と言っていたけれど、あれは本気だったのかもしれない。
 もしも俺が先に死んだら、彼はこのブレスレットを着けるのだろうか。
 俺が彼のピアスを貰ったように、彼もそうなったのだろうか。


「……今、付けてもいい?」
「もちろんだよ」


 付けっぱなしだったピアスを外して、彼の形見を穴に押し込むとき、彼の心が自分の中に入ったような気がした。


「ああ、とても似合ってる。…さて、お夕飯の支度をしなくちゃね、食欲はないかもしれないけれど、少しは食べなさいな」
「……うん。手伝うよ」



 葬儀の日は、雨露が風に流されて斜めに地を打った。
 雨音を耳に、棺桶の中で目を閉じる彼を見たとき、本当にただ眠っているようだった。刺されたのは背中だから正面は綺麗なままなのだ。
 その耳に何も付いていなかったから、俺は断りを入れて、それまで自分の付けていたピアスを、腕にはブレスレットをつけた。
 燃えてなくなったとしても、棄てることも他の誰に渡すこともない。俺の心は彼と共に火葬されていくのだ。

 そして四十九日も法事も雨だった。彼は晴れ男だったのに、死んだ日も葬儀も雨で、それは記憶によく張り付いた。









 彼の祖父母は、去年の初夏に亡くなった。先に祖父が、次いでひと月も経たずに祖母が居なくなってしまった。俺には後を追うなと言いながら、祖母は追うような最期だった。
 彼の両親も、彼も、祖父母も、仏壇までは無理だったが、その遺影と僅かな形見だけは貰った。祖父母が住んでいた家は、もうない。
 やっぱり次に行くのは無理だよ、と、俺はこれからも彼の遺影に話しかけ続けるのだろう。


 俺は、ずっとお前に恋をしている。
 お前が死ぬまで俺を愛してくれたように、俺も死ぬまでお前を愛しているんだ。
 だから、誰と付き合っても、心は他に行けないんだろうな。
 好きなだけで、愛してはいないんだ。
 そうだ、あの雨露の日、確かに彼と共に逝ったのだと。その答えに明確に辿り着いたのは、つい最近のことだった。彼が知ったら「鈍感」と言って小突いてくるんだろう。




 ───夕方の仕事上がりの時間になって、「引き継ぎのバイトが来てない」とバックヤードから店長の情けない声が聞こえた。
 今日は朝帰りかな、と思いながら、埋め合わせには新商品のスイーツを強請ろうと決めて、店長を安心させる為に他のバイトにレジを任せて足を向けた。



END

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