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短編集2(2020~)

 


 確かに昔の恋人で、初恋だった。ただ彼は他の人の所へ行ったのではなく、きっと死んでも会えない場所にいる。姿形が変わらない薄っぺらい紙の中で笑い続ける彼は、五年前の雨の夜、俺の目の前で刺されて死んだ。

 常習化していた通り魔は彼を刺した件で捕まった。今もまだ冷たい塀の中だろうが、犯人に復讐してやろうとか怨み辛みの類いは無い。
 当時は確かにあったのだ。警察が駆け付ける前にこいつを殺してしまおうと思った。だけど、それをしたらこいつと同じになるとも思った。彼を刺し殺した犯人と、同じになりたくなかった。
 だって彼は俺を抱き締めてくれていた。痛いほど、息が出来なくなるほど、飛散する彼の血を浴びながら、彼の声を聞いた。

「お前は死なせないからな」

 痛かっただろう。成人男性の平均より強い彼の腕の全力で抱き締められている俺よりも、前の日に誤って包丁で切ってしまった指よりも、高校時代に階段から落ちて骨折した時よりも、ピアスを開けた時よりも。
 彼は泣かなかった。俺は泣いていた。最後に彼からしてくれたキスは、熱くて苦しくて、にがかった。


 救急車と警察が来たのは、彼が死んだあとだった。
 その間に俺は、犯人が彼の背中を深く突き刺した時に自分でも信じられない力でその手首を掴んで、もがく犯人を逃がすまいと彼の体から出たあと、地に倒してその腹を踏み締めた。
 掴んだ手首はそのままに、凶器を握っていた彼の血に塗れた手の指を一本ずつゆっくり折った。何も言わなかった。ただ泣いた。犯人の叫び声だけが、暗い雨の中に響いた。
 彼が刺されてる最中に頭にあった確かな殺意よりも、俺を理解してくれた最愛の彼を失った悲しみの方が大きかったのだ。

 こいつを殺したら、彼を殺したこいつと俺は同じになる。

 警察は、俺が犯人の指を折った事は正当防衛だと言った。親しい友を目の前で失った若い男だと思っているようだった。
 それは間違いではない。
 親しい友であり、幼馴染みであり、理解者であり、恋人である彼に対する俺の心など、同じ立場で同じ境遇にあった人間にしか解りはしないのだ。
 そしてそれは異性よりも稀有な存在だ。


 彼に両親はなかった。俺と同じだが、彼の両親は幼い頃に事故で亡くなって、祖父母が彼を育てていた。よく家に遊びにいったし、俺を可愛がってもくれた。
 彼の祖父母は、傷だらけの彼の体を綺麗にし安置する為の病院の廊下で、俺を家に招いた。
 恨まれても、貶されても構わないと思っていた。それでも彼の祖父母は、一度として俺を責めなかった。
 後を追ってしまうのではないかと心配だからこの家にいなさい、と彼らは言った。葬儀も、四十九日も、その後の法事も、欠かさず居てくれれば孫も喜ぶのだと。

 彼が高校入学からずっと身に付けていた、特注品だというピアスを譲り受けた。それは彼の両親が、新婚旅行で海外に行った際に作ってもらったものだという。彼が唯一持っていた両親の形見である。
 祖父母からすれば、自らの子供の形見でもあるはずの物を何故俺に、と手のひらに転がるピアスを見ながら問うた時、彼の祖父母は涙で充血した目を細めて言った。


「あの子はあなたが好きだからね、きっとそうすると思うんだよ。私たちは付けられる洒落た穴も開けていないからねえ…」


 あの子はあなたを守って死んだ。あなたがその命を自ら絶っては、あの子が悲しむじゃないか。
 もしもあなたがあの子を愛しているのなら、確かに次に行くんだって大切なことだけれど、忘れないでほしいんだよ。先に逝ってしまったあの子が愛した人だもの、私たちにとっては、あなたも家族だからね。


 ふと、高校時代の思い出がその時にはっきりと現れた。


 


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あきゅろす。
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