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短編集2(2020~)
夜風に耽る
 


 日中は汗の滲む初夏で、夜半から朝にかけては秋のような肌寒い日々だった。
 膝から額までの低いガラス窓は下半分が不透明で、指の腹で撫でるとボコボコとしている。窓枠の内側から見た外の景色は、外灯によって部分的に明るく、他は薄暗い。
 鍵を外して右側に力を入れると抵抗は最初だけで後は滑らかに動いた。とたんに夜風が我先にと入り込んで、乾かしたばかりの髪が乱雑に混ざってコンディショナーの香りが漂った。
 男なのに洗髪に洒落っ気と金を使うなんて、などと言われようが、今のご時世は若い男女に自分磨きの差はあまりないし、むしろ清潔感があると評価は高いものなのだ。

 お気に入りの匂いは髪が短いとあまり香らないから、という理由だけで、気が付いたら肩まで伸びていた。先の飲みで旧友に「暑くなる前に切れば」と言われたが、どうにも美容院は苦手だ。
 昔馴染みの床屋は主人が亡くなり一年前に店を畳んでしまった。残された夫人もそのすぐ後を追うかのように病気であっさり逝ってしまって、更に足は遠退く。
 別の床屋を探せば見つかるのに、どうにもああいう場所は新しく通うには大人になってからとても難物だった。
 とはいえ、とりわけ器用なわけでもないから自分で切る事も出来ずに随分放っておいている。結っておけば問題ないし、いちいち髪にうるさい職でもない。

 三十路過ぎた男の髪が長いと不潔に見られるらしいけれど、長さだけで不潔か清潔かなんてのはあまりにも早計だと思った。明らかに洗っていない、フケや脂の反射するような頭なら話は別である。
 髭も剃っているし、常に結っているからか、人から不潔と言われたことはなかった。それを言ったら旧友が呆れ顔で「お前は見た目が良いからだろ」と、舌打ちのおまけ付きで返してきた。
 可愛らしい嫁を貰った男なら他所からの好意より妻の好意を意識しろよ、と旧友の左薬指にある指輪を視界に捉えながら言い返してやった。
 ヤツは学生時代も結婚してからもモテているくせに、何かと俺の顔について文句を言ってくるが、大概ヤツも大人の色気というものを無駄に溢れ出している。
 言い寄る女性は少なくなかったのは確かだし、ひとりでふらっと出歩くと声を掛けられたりした事もある。だが、あいにくと俺にはその「色」に魅力を感じたことがない。
 三十路過ぎたゲイがどんな見た目をしていようと、寄り付くのが異性ならなんの喜びも優越感も無いのだ。
 旧友は俺がゲイと知った高校生の時も、変わらず「どうせお前の見た目ならすぐ相手が見つかるだろ」と、どうでも良さそうに言っていた。心の優しさと口から放たれる言葉の不釣り合いさに、こいつの喉仏あたりには変換機能が搭載されているのだろうか、と思ったことがある。

 そう簡単に見つからないよ。異性と違ってそこらへんに転がってるわけでも、都合よく出逢うもんでもないのだから。
 地域で開催されるものも、知人を交えて計画されるものも、出会いの場を作る前提条件は男女でしか許されないのだ。まったく世知辛い世の中である。

 それに誰でもよいわけでもない。ゲイだろうがレズだろうがバイだろうがトランスジェンダーだろうが、ノンケだろうがタイプというものは存在する。人間以外の動物にだって好みがあるさ。

 しかし大多数や一般、普通という輪の中から一歩でも外れただけで、人間は恐ろしい化け物と対峙したような、それでいて格下を見るような眼差しを含んだ顔をする。

 お前らに好みなんて生意気だ、とさも自分は当たり前に奴隷を扱う主人のように、お前よりも自分の方が正しく、見下す権利があると思い込む。
 「幸福」という名前の法律を前にして違反した罪人を裁けると思っている。
 名前も顔すら知らなくとも、彼らには自身が相手にそれを出来て当然だと嘲笑うのだ。
 彼らは自分が規則の名の檻に囚われている事も、その中で世界の家畜として定められた「幸福」という教科書を直接刷り込まれて生きているという事実を疑わない。
 彼等の学びの中で与えられた、やってはいけないこと一覧表にでも載っているのだろうか。
 他者を殺すことと同じように。
 対価を払わず物を奪うように。
 規則から外れた犯罪者としての典型的な例として、同性愛も載っているのだろうか。

 社会の為に世界の為に親の為に、自分と他人の遺伝子を混ぜて新たな命を創れ、そして全ての為にその命を使え。お前に個人の自由などないのだ。役に立てないなら邪魔で不要だから社会の食い潰しは消えるべきだ。お前に人権などないし、そもそもヒトですらないのだ。
 「普通の正しい正常な人間」が言うには、つまりはそういうことだ。




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あきゅろす。
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