07
勿論、千世は自分が犬として生きているのは世間一般的に異常な話だと理解していたし、どうにかして自分が飼い主の元を離れて生活できることも知った。
それでも桐生千世は、睦月の側を離れようという気さえ起きなかった。
理由は、と言われれば、たった一言不満が一切ないからと答えるだろう。
犬という立場からどんな生活を強いられるのかと思えば、それは全く人間と同じで。学がないから教養を与えられ、不健康だからバランスのとれた食事を与えられ、お風呂だって寝床だって、自分の部屋さえある。
桐生千世の全ては【黒猫】である時任睦月であって。
無条件で睦月の側にいられるというのに、なんの不満があるというのか。
だからこそ、千世は犬として生きていく事に何の抵抗もなく。
「───…むつき、」
丸くなったまま呟いた声は自分にしか聞こえない程小さく、そしてどこか寂しそうだった。
寂しくて寂しくて、愛しくてたまらないのだと千世は自覚した。
いつになったらあの温もりに満たされるのだろう。次に会えたなら、もう離しはしない。
───すき。だいすき。
同じソファーに座っている保護者である朝比奈千鳥の視線を感じつつ、時間はまだあるだろうと千世はそのまま眠りに入り込んでいった。
「……まったく、あいつは…」
規則的に小さく動く千世の体を見て、朝比奈千鳥は溜息を吐いた。
あいつ、というのはソファーで器用に丸くなって眠る犬の飼い主である。
時任睦月は犬を捨てたわけではない。
たまに様子を伺う連絡が来るくらいだが、二年は姿を見せていない。
睦月の家で起きた出来事も知っていた。
今睦月は、バイト先の店長の家に住んでいる。
あそこの連中が睦月になにを抱いたかは知らないが、たかがバイト先の人間で大した付き合いでもないからと、千鳥は特に気に止めることはしなかった。
しかし不愉快な事はあるのは事実。
───ここに来ればいいものを。
好きなようにすればいい。自由に、何でもしてやるのに。
千鳥は睦月の意志を優先する。
愛しさ故か、性格を知っているからか。それは本人にしか分からない想いである。
犬を連れて、今夜、睦月に二年ぶりに会う事になっている。
犬はそれを知らない。
なぜ言わないのかと聞かれたなら、千鳥は迷わず、うるさいからと答えるだろう。
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